ブルームズベリー・グループの芸術実践―フランス近代美術の受容と生活空間への展開―本調査研究の意義・価値としては、次のことが挙げられる。一つは、欧米とは異なる、日本におけるアール・ブリュット観がどのような変遷を経て形成されてきたかが明らかになることである。さらにもう一つは、それが芸術外の様々な社会状況の影響を受けて形成されてきたということが明らかになることである。研究者:三菱一号館美術館主任学芸員本研究の目的は、ブルームズベリー・グループの転機となった1910年の「マネとポスト印象主義の画家」展の出品内容を二年後の第二回展とあわせて解き明かすことによって、フランス近代美術の影響下でこのグループの画家が発展させた独自の絵画表現を明らかにし、生活空間において展開された特異な芸術実践の意義を精査することにある。「マネとポスト印象主義の画家」展がロンドンにもたらした衝撃について、ブルームズベリー・グループの小説家ヴァージニア・ウルフは、「1910年12月もしくはその前後に人間の性格が変わった」と語る。印象主義の受容が最盛期を迎えていた英国で、セザンヌやファン・ゴッホ、ゴーギャンを新たな流れの先駆者として、マティスやピカソなどの前衛をその代表的な芸術家として明確に位置づけた同展は、当初、激しく糾弾された。先行研究においては、そうした拒否反応に応戦するかたちで展開されたロジャー・フライによるポスト印象主義論に考察が偏りがちであり、これまでに同展の展示内容の全体像が詳らかにされたとはいえない。主要な芸術家の作品については、一部の研究の成果を通じて部分的に特定できるようになったが、他方で、残る出品作品の大半は、現在の作品データとは必ずしも一致しない開催当時の出品目録の情報にもとづいて所在を探るしかない。とはいえ、当時最先端の「反印象主義」美術230点以上を一堂に集めた同展の出品内容は、1910年代の英国前衛美術における抽象表現を大きく前進させ、1913年にニューヨークで開催された「アーモリー・ショー」の企画構成にも影響を与えた。1910年の秋、展示会場となったグラフトン・ギャラリーで人々を驚愕させたのは、どのような光景だったのか。ポスト印象主義展で紹介された作品群を明らかにすることによって、1910年の衝撃を正しく理解し、英国前衛美―72―加藤明子
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