博物画家・伊藤熊太郎に関する研究―明治から昭和初期における日米博物図の美的世界―研究者:埼玉県立大学保健医療福祉学部准教授、国立科学博物館協力研究員伊藤熊太郎は、明治から昭和初期にかけて活躍した博物画家であり,明治期に米国のアルバトロス号による海洋調査に日本人絵師として参加した人物である。伊藤による博物図の原画が東京海洋大学およびスミソニアン自然史博物館等に多数残され、2017年には東京海洋大学で原画展示が行われているものの、その生没年や実像は明らかとされていない。しかしながら、近年、米国において伊藤の博物図についての研究がすすめられ、国際的な評価が高まっている。博物図は動植物を忠実かつ精密に写生したものであり、西洋ではルネサンス以降、諸科学とともに急速に発展してきた。18世紀にはフランスの宮廷画家として植物画家ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテが活躍し、19世紀イギリスのウォルター・フッド・フィッチはヴィクトリア朝時代に最も有名で多作といわれた植物画家であった。日本では近世に入ると狩野探幽や尾形光琳などが写生図巻をのこしており、江戸時代中期には本草学の隆盛や蘭学の影響によって、博物学的・科学的な正確さをもった博物画が描かれるようになる。長崎を経由してヨーロッパ、とくにオランダの動植物図譜が輸入され、日本の動植物画の画風にも大きく影響を及ぼした。それらの博物図譜やその周辺の書物は、絵師や大名、職人など幅広い人々によって描かれ美術にも通ずるようになった。近代になると蕃書調所において高橋由一が博物画を描写するほか、本草学から国際的な近代生物学へとパラダイムシフトする中で、生物学研究者が学名を残し図によって情報化する必要性がうまれた。写真で記録する以前の時代にあっては、新種の記載をするために正確で精緻な描写ができる画家の存在が不可欠だったのである。それらの博物図には視覚イメージが含有され、「もの」の美的イメージを人々に与えることに繋がっていった。これらの博物図は、欧米においては絵画として扱われ、美術史と科学史双方の文脈から研究がすすめられてきた。一方、日本においては、近世までの動物図・植物図についてはすでに幾多の研究成果が挙げられ、一般書籍も出版されている。しかしなが―74―牧野由理
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