鹿島美術研究 年報第38号
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江戸時代における張思恭受容―伊藤若冲筆「釈迦三尊像」を中心に―マクロな意義として、まず肥前陶磁の海外輸出に関する新たなモデルを提示できるという点がある。肥前陶磁はヨーロッパをはじめ世界各地に輸出されたが、朝鮮半島への輸出をめぐっては、他地域と比べてほとんど研究がおこなわれていない。これまで肥前陶磁の海外輸出は、明清交代期にオランダ東インド会社が中国に代わる生産地として注文を開始し、中国の状況が安定する18世紀に入って輸出が急減するという図式で語られてきた。しかし筆者は先述の抽出作業を通して、朝鮮半島においては18世紀中後半に流通のピークを迎える様相を確認した。つまり朝鮮輸出についてヨーロッパ市場など他地域とは異なる輸出モデルを描ける可能性が高く、考察を深めて一連の交流史研究を完成させることは肥前陶磁の研究においても有意義といえる。またさらに視野を広げるならば、これまで陶磁史分野において近世の日朝交流は、朝鮮半島からの技術伝播という「朝鮮→日本」のベクトルで語られることが多かった。しかし朝鮮半島の技術をもとに磁器生産を始めた肥前地域の製品と陶工が、逆に朝鮮半島に渡っていき、朝鮮白磁に影響を残していく様相を整理できれば、「日本→朝鮮」という新たな構図を提示することに繋がり、近世日朝交流史の新たな側面を照らし出すといえる。以上、日韓双方にとって意義ある研究と考えるが、日韓双方の資料を活用しなければ解明できない難点のあるテーマともいえる。そのようなテーマの特殊性においても、かつてソウル大学校人文大学考古美術史学科博士課程に在籍しながら韓国をフィールドとして研究活動をおこなった経験をもち、日韓双方の資料にアクセスできる筆者が、本調査研究に取り組む意義があると考える。研究者:神戸大学大学院人文学研究科博士課程後期課程本調査研究の目的は、江戸時代において南宋の画家・張思恭がどのように受容されていたか伊藤若冲による模写作品を中心に明らかにし、前近代の「宋元画」受容史の一端を探るところにある。本研究の意義は、以下の点が考えられる。一点目は、日本絵画史上常に見倣うべき存在であった中国絵画がどのように受容されてきたか、その一様相を実証的に知り得ることである。特に、本調査研究の時代範囲とする近世は、出版文化が繁栄し、大衆がたやすく情報を手に入れられることによ―76―太田梨紗子

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