伊藤為吉が組織した「職工軍団」の文化史的意義 ―『職工新聞』(職工新聞社、1907~1913)の基礎調査、同時代言説・状況との交差―【参考文献】福士雄也「朝鮮絵画と近世の日本絵画」(『朝鮮王朝の絵画と日本宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美』読売新聞大阪本社、2008年)井手誠之輔『日本の美術418日本の宋元仏画』(志文堂、2001年)【本研究の意義・価値】本研究の意義・価値は、新規性、実証性、領域横断的な発展性にある。第一に、これまでの美術史研究・建築史研究において正当に評価・考究されてきたとは言い難い伊藤為吉の多彩な仕事のうち、特に研究の手薄な部分として、啓蒙的社会事業の動きを考察対象とする新規性に意義・価値がある。第二に、伊藤為吉のそうした啓蒙的社会事業の中でも為吉が組織した職工軍団の活動に着目し、その意義を考察するために、『職工新聞』(職工新聞社、1907~1913)というこれまでほとんど研究されていない資料の調査を行い、職工軍団の活動を資料的に裏付けようとする実証性に意義・価値がある。第三に、『職工新聞』の調査を通じて明らかにしようとする職工軍団の文化史的意義を、同時代の産業をめぐる言説や、救世軍関連の社会慈善活動の文脈を参照して考察することで、領域横断的な発展性を持たせようとしていることも、本研究の意義・価値のある点として挙げられる。本研究は、美術史、建築史の枠内のみならず、比較文学、産業史、社会運動史、教育史などの研究分野に波及する研究成果となることを目指す。【本研究の構想】筆者がこれまでに行ってきた研究のさらなる発展として、本課題を構想した。筆者は、2009年の修士論文から博士論文「ものをつくることを書く、ものをつくるひとを書く――幸田露伴について――」(2020年3月、大阪大学)まで、幸田露伴(1867~1947)を対象とする比較文学研究を継続してきた。筆者のこれまでの研究の着眼は、幸田露伴は人間がなにかをつくりだすことへの強い関心を一貫して持っており、それが彼の文学を貫く重要なテーマだった、というものである(なお、「ものをつくる」という言い方は、狭義の美術のみに露伴の関心が向いていたわけではなく、産業的な文脈へも強い関心を持っていたため、両者を統合する言い方として研究者:大阪府立大学工業高等専門学校専任講師―78―吉田大輔
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