鹿島美術研究 年報第38号
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るために、これまで蓄積した情報から着想を得たものである。大報恩寺像を鎌倉初期の檀像作例の一つとして捉えるために、前後の時代の他の観音檀像を調べたところ、平安中期と鎌倉初期を中心に、素地仕上げの観音像の作例に一定の割合で陀羅尼が納入もしくは銘記されているものが見出された。このことから、観音檀像の造像は、観音陀羅尼の信仰と深く結びついていた歴史があったのではないかという仮説をたてた。これまで、筆者は観音を基軸にした檀像と陀羅尼の関係を大報恩寺六観音像に限った文脈の中で解明しようと試みてきたが、この関係の歴史は、更に広い視座から検討しなす必要があると構想を改め、研究対象の射程を広げるに至った。よって、六観音像研究にて試みた造形と祈願の関係を、中世の観音檀像へと対象を拡大して考察することを目的とした。現在判明している観音檀像の流れは次のとおりである。陀羅尼を納入もしくは銘記する観音菩薩の檀像(素地仕上げの像)の早い時期の作例として、平安中期の千手陀羅尼を納入した千手観音菩薩像(福寿寺像や覚音寺像など)が複数体存在する。次に、鎌倉初期の大報恩寺六観音菩薩像は六種のそれぞれ異なる観音像に、各々に対応する陀羅尼経を納入するという形で表れた。大報恩寺と前後する時期からそれ以降にかけて散見される檀像如意輪観音は、陀羅尼が直接納入される作例は多くないものの、『秘蔵金宝集』にて石山寺淳祐(890-953)の発言として記録されている、如意輪観音の六臂はそれぞれ六観音が担当する六道を救済する力を持つ、という思想を想起させる。今回の研究では、これら各例の間の時代を補完する作例と宗教的文脈を解明していく。以上の問題を踏まえて、陀羅尼に着目した観音信仰史を俯瞰しつつ、各時代の陀羅尼と観音造像の関係を比較検討し、最終的には平安後期~鎌倉時代に制作された檀像観音の造像史を総合的に提示する計画である。―81―

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