鹿島美術研究 年報第38号
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式場隆三郎研究しであるという、古代ローマ人の自然観の新たな一側面を指摘することにより、美術史料から景観の再構築を進めるなど、発展途中の他分野への還元も期待される。【構想】本研究は、東北大学への提出を目指して執筆中である博士論文の一部となる予定である。博士論文では、帝政初期のローマ美術における風景表現に関して包括的に論じることになるが、本研究の軸として据えている時代に沿った縦軸と広い地域を見渡す横軸という2つの視点は、博士論文でも核となる要素である。ローマ美術における風景表現の研究は、ローマ人がいかに自然を観察しいかに享受していたのかを知る手がかりであり、文学表現や哲学思想などとの関連からも論じることが出来ると考えられる。研究者:式場隆三郎記念館準備室職員式場隆三郎(1898-1985)の多種多様な事績のうち中核をなすのが、ファン・ゴッホ研究ならびに普及活動である。式場は1932年(昭和7)に『ファン・ホッホの生涯と精神病』上下巻(聚楽社)を刊行して以降、日本における代表的なゴッホ専門家としての地位を確立し、1951年(昭和26)以降はゴッホの複製画コレクションを全国約60ヶ所で展示し、講演を行うなど普及事業に尽力した。著作はおよそ50に及ぶ。ゴッホ展は、海外製の原色版複製や文献から成るもので原画の展示は一点もないものであったが、25ヶ所目で約40万人を動員した。多くの日本人に初めての“ゴッホ”鑑賞体験を提供した場であった。式場の一連の活動は、現代日本人のゴッホ観の形成に重要な意義を持ったと評価されている[木下2002]。一方で式場は、柳宗悦が主導した民藝運動にも尽力した。「民藝」という概念の生成に繋がった柳の木喰研究に協力、特に1939年(昭和14)から『月刊民藝』(後に『民藝』と改題)の企画編集者として民藝の普及、啓発、調査活動に貢献し、民藝運動の中心的役割を担った一人に数えられている[水尾1992:167,203]。本研究で明らかにしたいのは、まず、式場のゴッホに関する研究・出版や複製画展等の普及活動が民藝運動に及ぼした影響である。例えば、版画家長谷川富三郎(1910-2004)は、発売後1年で70版を超すベストセラーとなった式場訳のゴッホの伝記小説―83―山田真理子

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