鹿島美術研究 年報第39号
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― 85 ―㊶ 近代朝鮮における女性書家・書画家の誕生と展開【本研究の目的】研 究 者:国立ハンセン病資料館 主任学芸員  金   貴 粉本研究では植民地期に新たに登場した女性書家・書画家について悉皆的な資料・作品調査ならびに誕生背景についての考察を行い、具体的分析を試みることで次の3点を明らかにすることを目的とする。目的① 1915年に海岡書画研究会(書画学院)を開設した金圭鎮と、1907年に教育書画館を設立した金裕卓による女性書家・書画家育成過程や輩出した作家らの作品、活動について明らかにする。目的② 朝鮮美術展覧会等、展覧会において活躍した女性書家・書画家の作品や活動について一次資料を中心に明らかにする。目的③ 目的①、②までの結果をふまえ、植民地期朝鮮において女性書家・書画家がどのように誕生していき、彼女らがどのような活動を行ったのか、その展開について具体的に明らかにすることを本研究の目的とする。【本研究の意義・価値】① 男性中心の書画史ではなく、女性書家・書画家の活動から明らかにする。植民地期朝鮮において活躍した専業書家の多くは、同時期に導入された「美術」と異なり、それ以前から教養として書を体得した中人階層以上の男性が中心であった。植民地期以降、女性にも書画教育の門戸が開かれることにより、展覧会等の場で活躍する女性たちが登場することになった。本研究では、これまで焦点化されることのなかった女性書家・書画家の活動、作品を具体的に明らかにすることにより、近代朝鮮における「書」や「書画」の実相をより深く明らかにすることができると考える。② 東アジアにおける「書」の近代化との相関性をふまえ、横断的に考察する。「書」は中国に始原を持つ伝統の枠組みにおいて歩み続けてきた。一方で、その伝統は時代ごとの要請によって変容してきたものである。植民地期に入り、社会的に近代化の波が押し寄せ、日本による文化的影響も及ぶこととなったが、女性書家・書画家たちはその中でいかなる価値観を「書」や「書画」において創造したのだろうか。「書」は、西洋にはない芸術であるため、同時代の中国、日本との相関性をふまえることで、独自な視点を示すことができる。

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