― 89 ―㊹ クリムトの肖像画における中国的図像研 究 者:兵庫県立美術館 学芸員 尾 﨑 登志子目的本研究は、世紀転換期のウィーンにおける東洋美術受容の様相を、晩年のクリムトの肖像画における中国的モチーフといった事例を詳細に検証することで、明らかにしようとするものである。クリムトの東洋美術との関わりについて、先行研究ではジャポニスムの文脈で語られることが多かった。しかし、この作家の東洋美術に対する姿勢を説明するには、日本美術との関連に焦点を当てるのみでは不十分である。クリムトは画行の晩年期である1910年代に、およそ25点の肖像画および人物画を制作しており、その作品のほとんどに中国美術を参照したと考えられる様々なモチーフが描き込まれている。それらは肖像画の背景を占める大きな要素であるにもかかわらず、長らくそれらのイメージの源泉やモチーフを借用した背景について具体的に解明されてこなかった。晩年の肖像画における中国的要素について考察を進めることは、クリムトの東洋美術受容の全体像を捉えることにつながると申請者は考えている。さらに、中国的図像が用いられたのが女性たちの肖像画においてのみということも注目すべきである。クリムトが女性たち、それも懇意にしていたパトロンの妻や娘たちを描く際に、遠い異国のモチーフを借用した背景には何があったのか。肖像画中の個々のモチーフの分析や中国美術受容の状況の再構成だけではなく、クリムトの周囲の人物との交流やパトロネージに関する調査も並行して進めていく。それによって、画家が女性たちの肖像画の中で創出しようとしたイメージをあぶり出し、クリムト研究に新たな視座を提供することが、本研究の大きな目的である。構想、意義・価値上記の目的を達成するために、クリムトの晩年期における人的交流に関する調査と東洋美術受容に関する調査を並行して進める。それを踏まえた上で、作品に描かれた中国的イメージの分析・考察を行う。このようにクリムトの肖像画に表出された包括的に考察することで、より説得的な作品研究を行う。クリムトの晩年の作品は、それ以前の「黄金時代」の作品に比べて一段低い評価がなされることが多い。この日本美術、とりわけ琳派の影響を色濃く受けた作品に対し
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