― 94 ―㊽ 16世紀ヴェネツィアの牧歌画における風刺的表現について研 究 者:東北大学 非常勤講師 森 田 優 子牧歌画というジャンルが西洋美術全体の歴史において果たした役割は非常に大きい。人々が心地よい自然のなかに集う、という牧歌画の表現はひとびとが自然の価値をどう捉えてきたのか、西洋における自然観の歴史的変遷をたどるなかで重要な史料とも見られている。しかし、自然表現という観点以外にも、多様な視点から語ることができる複雑性が牧歌画には存在し、見た目の分かりやすさを裏切る側面を有している。そうした側面がこのジャンルのもつ混交的特徴であるといえる。研究者ネイグルは牧歌画を“下方へ”むかう変化だと説明する(A. Nagel 2011年)。たしかに、古典古代の典拠と接点をもちながらも、物語を説明的に表現するのではなく、典拠/テキストからの自由を模索しているとみられる表現がいくつも発見できる。古代ローマの詩人ウェルギリウスは、叙事詩では語れないものを扱うために牧歌詩という形式を復活させたと説明されるが、同様に美術においても、歴史画ではあらわし得ないものを描こうという追求が、牧歌画という形をとったともいえる。初期ルネサンスには主題の自由にかんして、さまざまな試行錯誤が見られる。そうした意味では、牧歌画も始まりにおいて「古代風創作allʼantica」の現象と一種パラレルな存在と捉えることができる。牧歌画として成立するようになった表現の根底には、主題という枷からの自由を求める創作上の探求が存在し、それが自然表現をとりこみ、寓意的表現手法や風俗的表現、あるいは諷刺ともとれる表現がうまれる素地となったと考えられる。美術理論において創作における画家の裁量をめぐる考察は存在するが、裁量という問題において重要な役割をはたす牧歌画において、ジャンルを横断する試み、また諷刺的な表現の作品研究はいまだわずかであり、体系的な説明はこれからの課題といえる。筆者は拙論「レンブラントにみられるヴェネツィア美術の影響――〈フルート吹き〉を中心に――」(2018年)において、画家レンブラントが、ティツィアーノやジュリオ・カンパニョーラにまで■って牧歌画の表現を探求し、まるでヴェネツィア美術へオマージュを捧げるように羊飼いのいる場面を設定し、女性への窃視的な眼差しを描き出して、そこに妻サスキアの姿を投影していることを論じた。この議論のなかで、描かれたフクロウや、不釣り合いともいえるカップルの表現は、同時代オランダ美術の風
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