鹿島美術研究 年報第39号
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― 95 ―㊾ 中国の天王像「獅噛」装飾に関する調査研究―北朝後期~初唐期を中心として―俗画の影響ではないかと捉えた。しかし、不釣り合いなカップルの表現は美術理論においても、レオナルド・ダ・ヴィンチ以来の伝統があり、さらにフクロウ等の寓意的表現について牧歌画とも無縁ではないことをその後の研究で掴んだことから、本課題の着想にいたった。本研究では、牧歌画における「変化」にかんする諷刺的表現について考察する。この時の変化は自然表現に表れる場合もあるが、ここでは特に、合奏や加齢の表現、とりわけ老女の演奏する姿に焦点をあわせて調査をすすめる。本来、合奏は調和をしめす表現であるが、酩酊や、おそらく世代の表現と結びついて諷刺として機能していると予想される。そして、牧歌画における合奏は、ひたすら調和だけを追求しているものではなく、「時の変化」への反応のかたちをとって表れていることを、牧歌画草創期における重要な様相として浮かび上がらせ、後代の受容において風俗画と牧歌画へと分岐する以前の、創作における挑戦を解き明かし、研究の刷新をねらう。研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士後期課程  大 沼 陽太郎意義・価値東アジアの武装する仏教彫像の身体各部には、特に日本彫刻史研究の用語では「獅噛」と呼びならわされる獣面装飾が施される場合がある。この所謂「獅噛」装飾は中国で北朝後期から初唐期までの時期にまず成立し、日本では天平期以降に受容されたものと予想される。また体幹部に施される場合の多いこともあって多数の作例が遺るが、中国の作例については管見の限りこうした装飾に注目した研究がほとんど無く、日本の作例についても主として彫刻史研究以外の分野から散発的な言及があるのみである。また作例資料についても、「獅噛」装飾は武装形像の立体的な細部に表される場合が多いことから、既存の写真資料が存在しない、もしくは不鮮明な場合が多い。本研究はこうした状況を打開すべく、最も重要と思われる中国における「獅噛」装飾成立の問題、すなわちいつ天王像各部の「獅噛」装飾があらわれ、どのように一般的な天王像の服制として定着するにいたったのかという問題について、現地調査によって新たに資料を得て解明するものである。

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