― 96 ―本研究によって中国における「獅噛」装飾成立の過程が明らかになり、またある程度網羅的に中国の作例資料が得られることにより、天平期に受容されて以来時代によってその造形の特徴を変える日本の「獅噛」装飾への影響も見ることができることになる。構想中国における「獅噛」装飾は、現状の資料をもとにすると、部位によって成立の時期が大きく異なることが予想される。すなわち北魏後期6世紀に肩部、初唐期7世紀後半に腹部、そして9世紀にいわゆる兜跋毘沙門天図像の成立とともに胸部の鬼面獅噛がそれぞれ受容されるようである。そこで本研究では①肩部・膝部、②腹部、③胸部と3部に分けて研究を行う。まず①肩部・膝部では、龍門石窟古陽洞の甬道側面の守門神像や、宝山霊泉寺石窟・大住聖窟外壁の「■毘羅神王」銘像など、肩部には獣頭を表す一方、腹部に人面を有し、膝部に象頭を着け、また両胸にも人面を表す、後世における深沙大将像および兜跋毘沙門天像とも似た図像を持つ北魏後期から隋代に造られた一連の像について、現地調査によってその年代・前後関係を確定する。その上で、こうした図像の淵源や流行した時期、そして最も重要な問題として、これらが後世の武装形像の装飾に与えた影響について考察する。というのもこれら身体各部に「獅噛」を多く着けた、先行研究によってソグド美術の影響も指摘される異国風な像から、初唐期の肩部のみに「獅噛」を着ける中国風な像との間には大きな懸隔があり、それらの間の接続が問題となるからだ。また9世紀以降のいわゆる兜跋毘沙門天の図像との関連も注目される。つぎに②の腹部の天王像については、初唐期を代表する天王像である龍門石窟奉先寺洞の塔を捧げる天王像腹部の「獅噛」が研究の軸となる。この像は腹部に「獅噛」を表した最初期の像であるとみられるが、その「獅噛」には二組の内巻きの角を有するという特徴がある。こうした特徴をもつ有角の「獅噛」は、以後中国における腹部の「獅噛」のスタンダードとなってゆくが、その意匠は後漢〜北朝後期の墓門に表された鋪首と類似している。さら8世紀以降に確認される、インドにおいて仏塔の門などを守るキールティムカ・マカラに淵源するものと思われる、唐代の仏塔に施される獣面装飾とも類似する。②においてはこれらの相互関係を、より多くの資料をもとに明らかにしていく。最後に③は、9世紀以降のいわゆる兜跋毘沙門天の図像に関して、特に両胸の人面
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