― 97 ―㊿ 亜欧堂田善の銅版画研究 ―線刻表現から見る西洋版画受容の諸相―あるいは鬼面の「獅噛」装飾に着目してその成立背景を明らかにする。問題の所在は図像の淵源と受容の様態の二点に分かれる。図像の淵源については、①で述べた両胸に人面を表す北魏後期〜隋代の武装像、および西域のクチャで出土したイラン風の服制の上に両胸に人面をあらわす塑像(エルミタージュ美術館蔵)との関連が問題となる。また受容の様態については、この両胸に人面を表す図像は北宋期になると毘沙門天像以外にも表されるようになるが、その背景には何があるのかという事が問題となる。兜跋毘沙門天像については近年その服制が中国的か西域的か、あるいはチベット的かという点で議論が再燃しており、本研究は「獅噛」について中国の古像(北魏期〜初唐期)のありかたをよくふまえて考察することで、中国における古典学習の有無や意味づけなどについて明らかにし、こうした議論の進展に寄与するものとなるであろう。研 究 者:福島県立美術館 主任学芸員 坂 本 篤 史本研究の目的は、亜欧堂田善の銅版画作品に表れた西洋版画受容の痕跡を線刻表現の側面から分析し、田善の模倣から創作へと至る過程を示すことである。意義西洋由来の腐食銅版画作品を日本で初めて制作(創製)したのは司馬江漢であったとされるが、田善は技法習得に粘り強く向き合い、緻密な線刻表現を成し遂げた、技法の大成者であった。色面で構成される木版画とは異なり、黒一色の細かな線刻表現により画面が構成される銅版画は、田善にとってまったく未知な技法であっただろう。したがって田善は舶来の西洋版画を、図柄の面白さ以前に技法上の関心を持って仔細に研究したと推測される。一方、田善作品のイメージソースとなった18世紀の西洋版画には、同一の図柄を持つ版が複数知られている。そのため海外に所蔵される西洋版画を対象とした場合、単に図柄に着目するだけでなく、細部表現に着目しなければ、田善作品の原図を特定することは難しい。本研究ではこれまで田善作品のイメージソースとして提示されてきた西洋版画と田善作品を対象にして、主に陰影表現や量感表現、遠景表現、夜景表現などに焦点をあ
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