鹿島美術研究 年報第39号
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― 98 ―てて比較を行い、共通点と相違点をあぶり出していく。こうした分析により、田善作品の原図はおのずと絞り込まれると同時に、田善がどのような西洋版画から何を学び、そしてそれらをどのように自作において応用させていったかが明らかになるだろう。それはすなわち黎明期の我国の銅版画の技法上の発展の過程が具体的に示されるということにほかならない。価値本研究は田善作品を具体的に考察することで、我が国における黎明期の銅版画の技法上の発展過程が浮き彫りになるが、そこで得られた知見は同時に、鎖国下に我が国に流入した西洋文化の実態解明という、より大きな枠組みの中で新たな価値を見いだす可能性を秘めている。これまでの調査により、筆者は田善作品の原図にはロンドンの版元ロバート・セイヤーから発行された版画が一定数含まれていた可能性を想定している(下記の構想、および調査研究の実施状況を参照)。鎖国下の日本ではオランダを介して西洋文化が流入したことが知られているが、筆者の仮説が正しければ、そこには英国版画もある程度含まれていたことになる。構想田善が1809年(文化6)に制作した版画の代表作「ゼルマニヤ廓中之図」は彼の代表作に数えられ、画面右奥の建造物は「パリ市庁舎眺望」に基づくことが2020年11月から12月にかけて、松浦靖也氏と筆者によって相次いで発表された。松浦氏の研究ではロンドンの版元ロバート・セイヤーから発行された「パリ市庁舎眺望」が、また筆者は原画制作者ジャック・リゴー自らが版刻した同名の作品の原図として提示した。そのため申請者は二つの版を詳細に検討したところ、両者の図様はほぼ一致するものの、細かな線刻表現や人物のポーズには相違点が見られることを確認した。現時点ではどちらの版を田善が参照したかについて、決定的な根拠は見いだせないが、リゴーの版画に比べて粗い線刻を持つセイヤー版の方が、田善作品に近いように思われる。いずれにせよ、細部描写を詳細に比較することには大きな意味があると考えるに至った。

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