谷文晁筆《檜蔭鳴蝉図》(逸翁美術館蔵)、鈴木其一筆《夏秋渓流図屛風》(根津美術― 102 ―館蔵)を中心に見る、蝉と檜の表象について研 究 者:サントリー美術館 学芸員 宮 田 悠 衣的にその内容を検討する。現時点で、具体的には晧臺寺、観音寺、光永寺については中国関係の資料が伝来していることが判明しているものの十分な調査がされていないため、まずは重点的に調査を行う。3)その他(個人蔵、関係資料の調査) 寺院以外にも長崎には未だ多くの美術作品が伝来している。江戸時代、長崎市の中心部は幕府の直轄地であり、長崎奉行の支配下におかれていた。武士はほとんどおらず、地元の人間が地役人をつとめ、多くの人が貿易の恩恵に預かっていた。そうした背景からか、江戸時代から現在まで続く家が多く、先祖代々の品が伝わっている例も珍しくない。その中に中国絵画や、来舶清人らの書画が含まれていることも多い。本調査では、出来るだけ伝来が判明しそうなものについて、対象に含むこととする。また、長崎へ輸入されたものや制作された品は、長崎を経由地として日本全国へ運ばれていくことが多い。そのため、これまでの調査・研究、および1)〜3)に関連する資料は、長崎よりも他の地域にある可能性が高い。例えば、黄檗僧とともに長崎へ渡来した資料のほとんどは京都の黄檗山萬福寺や有力な大名らが創建した黄檗寺院に所蔵されている。1)〜3)で調査した資料と関連する資料の調査も積極的に行い、資料についての分析をより深める。加えて、こうした調査研究を重ねることによって、将来的に長崎を経由地とする文化の伝播を考察することへと繋げていきたい。本研究は18世紀以降の草虫表現についての研究を進める一助となることを目指している。江戸時代、特に18世紀以降、中国からもたらされた元、明時代の草虫図をもとに、俳諧の隆盛や、本草学の進展、沈南蘋が伝えた新たな画法など、様々な影響を受け、多彩な草虫画が生み出された。例えば、伊藤若冲の《動植綵絵》のうち《池辺群虫図》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)宝暦8年〜明和3年(1758〜1766)、喜多川歌麿の《画本虫■》天明8年(1788)、酒井抱一の《四季花鳥図巻》文化15年(1818)(東京国立博物館蔵)などである。そして、草虫図は浮世絵や版本の題材にも取り上げられ、
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