清初における「南宗画」の変容と拡張 ―惲寿平「花隖夕陽図巻」を中心に―― 107 ―研 究 者:黒川古文化研究所 研究員 飛 田 優 樹明末の董其昌の「南宗画」の言説と様式は、次世代の継承者である四王呉惲が清朝宮廷絵画の規範を作り上げたことで、「正統派」としての地位を確立する。しかし、四王呉惲はただ董其昌の画風・画論を受け継ぐのではなく、大きく変容させていた。中でも惲寿平は、四王呉惲のうち唯一董其昌からの師承関係がない異質な存在だが、王翬の親友として相互に影響しあったと考えられ、ともに「南宗画」の古典の体系を外側へと拡張して様々な絵画伝統を取り込んだ。本研究は主に惲寿平の作品と画論に注目し、董其昌から四王呉惲への変化、さらには清初における「南宗画」の変容と拡張の一端を具体的に解明することを目的とする。惲寿平の山水画「花隖夕陽図巻」は、重要文化財にも指定される名品だが、これまでに董其昌や他の四王呉惲作品との様式比較はなされてこなかった。そこで、本研究では改めて本作を明末清初の段階的な画風展開の中に位置づける。本作は技法や主題に董其昌との共通性が見られるが、董其昌が再現性よりも構図の躍動感を優先したのに対し、惲寿平は再現性を回復して穏やかな春の夕暮れの江南風景を的確に描き出している。こうした董其昌との相違は、『甌香館集』をはじめとする惲寿平の画論から理解することができる。惲寿平の画論には董其昌への反論が散見され、古画への評価も異なっており、彼らの表現の差異はこうした理論の相違を反映するものと考えられる。そして、こうした絵画観は王翬と共有されたことにより、清代画壇全体の趨勢をも左右するものとなる。惲寿平の画業においては、山水画よりも花卉画が重視されることが多い。これは彼の「王翬の山水画を見て天下の第二手となることを恥じ、花卉画家に転向した」という逸話によるところが大きいだろう。しかし実際に編年してみれば、彼は晩年まで山水画を描き続けており、画論にも山水画関係の記述は多い。むしろ、四王呉惲の中での惲寿平の役割を知るためには、山水画にこそ注目すべきとも言える。本研究はこうした彼の山水画の評価問題も扱い、さらに山水画と花卉画が彼の中でどのように結びついていたかについても画論の記述から探る。董其昌から四王呉惲への変化は、中国絵画史の最も重要な課題の一つである。董其昌の画論・画風は中国の画壇全体の趨勢を塗り替え、中でもその絵画史観は現代の
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