荏開津氏ことはなかった。しかし、伝雪舟筆「琴棋書画図屛風」が梁楷様に描かれていることから関係資料を見渡すとき、足利将軍家所蔵の中国絵画目録である『御物御画目録』の「小二幅」の項に、梁楷筆とされる「猿飼」双幅が著録されることに気づく。室町時代に将軍家所蔵の唐絵が持っていた規範性に鑑みれば、この伝梁楷筆「猿飼」双幅が、雪舟画における猿曳図様の源泉となった可能性が浮上する。そして、伝雪舟筆「琴棋書画図屛風」や、狩野探幽筆「野外奏楽図・猿曳図屛風」(筑波大学附属図書館蔵)などの、猿曳図様を含む作品の多くが農村風景を描くことを考慮すると、文献上の梁楷作の中に村楽、田楽あるいは村田楽といった作品が散見されることが注意されてくる。中でもとくに、『碧山日録』長禄3年(1459)11月14日条に記される伝梁楷筆「村田楽図」に着目すれば、そこには小鼓を鳴らす人、板子を拍つ人、舞う人、そしてその傍らで感嘆したり笑ったりする見物人たちが描かれていたことが判明する。この描写は狩野探幽筆「野外奏楽・猿曳図屛風」に代表される「猿曳・酔舞(奏楽)図」の酔舞(奏楽)の場面によく符合し、ここに現れる「村田楽」こそが「猿曳・酔舞(奏楽)図」の主題ではないかと考えられてくる。そこで中国宋元時代における「村田楽図」について調べると、元時代の文人・虞集(1272―1348)による詩「題村田楽図」が見出される。その第九句に「或いは弥猴を弄びて真仮を笑ふ」とあるが、この「弄弥猴」は猿曳を指すものと思われ、さらに第 研究発表者の発表要旨 1.中世絵画における猿曳の図様に関する研究 山口県立美術館 普及課長 荏開津 通 彦※ 新型コロナウイルスの影響によりオンラインによる参加となった。17世紀に描かれたある種の漢画の中に「猿曳(猿回し、猿飼)」の姿が見られる。それは「耕織図」や「四季耕作図」の中に点景として現れることもあれば、「酔舞(奏楽)図」と対をなして「猿曳・酔舞(奏楽)図」といった現れ方をする場合もある。これまでの研究では、これらの図中の猿曳図様の源流として「琴棋書画図屛風」(永青文庫蔵)のような雪舟画が想定されていたが、それ以上■って図様の典拠が追求される― 20 ―
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