鹿島美術研究 年報第39号
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  3. 新出のイマーム・ムーサー・カーズィム廟寄進銘及びペルシア語詩銘入り真鍮製燭台について  日本学術振興会 特別研究員PD(東京外国語大学) 神 田   惟メリカ独自の美術を確立させるかという問題意識へと変容していく様子が窺えるのである。これらの検証を通して、第二次世界大戦下におけるピエール・マティス画廊がアメリカ美術界で果たした役割を考察する。神田氏さらに、《ドーハ燭台》の制作地は、イラン中部の都市カーシャーン製である可能性が高い。前掲の《サザビーズ燭台》を含め、少なくとも3点の真鍮製燭台が、1560年頃から1600年頃にかけて、この都市に地縁のある人物によって、各地の十二イマー近年のイスラーム美術史研究における、西アジアの聖者■への参詣・寄進に関連する美術品に対する相対的な関心の高さには目を見張るものがある。本発表では、カタール国のドーハ・イスラーム美術館の所蔵する新出の真鍮製燭台1点(所蔵番号:MW.152.1999、以下では《ドーハ燭台》と表記)を取り上げ、西アジアにおける聖者崇敬のあり方の一端を示す。具体的には、《ドーハ燭台》の寄進先及び制作時期・制作地を絞り込み、本作品がイランのある都市で制作され、イラクのとある聖者■に寄進された政治的・宗教的・文化的な背景を明らかにする。《ドーハ燭台》の寄進先は、イラクのバグダード近郊に位置する、聖者イマーム・ムーサー・カーズィム(799年没)の■である。この聖者は、シーア派の一派である十二イマーム・シーア派の教義において、第7代イマームとされる人物である。《ドーハ燭台》の制作時期は、1600年頃であると考えられる。このことは、本作品に、1600年頃のイランで制作された工芸品にしばしば見られる環状の動物闘争文のモチーフが施されていること、この時期のイラン製真鍮製燭台特有の斜線文が施されていること、銘文として、1562‒63年に没した詩人に帰せられるペルシャ語の神秘主義詩が施されていることに加え、《ドーハ燭台》と寄進先を同じくするヒジュラ暦1007年(1598‒99年)の燭台1点(以下では、《サザビーズ燭台》と表記)の存在が知られていることから、ほぼ確実である。― 22 ―

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