鹿島美術研究 年報第39号
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― 28 ―② 中国画家傅抱石の日本留学―高島北海・横山大観・金原省吾らとの関わりで―の遺した資料等が公開されている。これらを踏まえて、さらに現地調査を行い、新たな資料の発見に努める。さらに、当館で寄託を受けているキリシタン遺物については、詳細な調査を行った上で、市外に流出した遺物について調査を行う。加えて、国内の類似する作品についても調査を行い、図像や作風の面で検討を加える。本研究を通じて、■木のこの地にこれだけのキリシタン遺物がなぜ遺されたのか、またなぜ隠しきれたのか、ここに遺されたキリシタン遺物はそもそも何だったのか、多くの■に包まれた■木のキリシタン遺物について、これらの答えの一端を明らかにしたい。また本研究が、長崎など■木以外に遺されたキリシタンの歴史や、キリシタン遺物の研究にも相互に裨益するものとなることを期待する。さらに、キリシタン遺物の「発見」という近代史における、美術史的な観点からの新たな視点を提示することもできるのではないかと考えている。研 究 者:総合研究大学院大学 文化科学研究科 博士後期課程  傅抱石は中国の毛沢東時代(1949年■76年)の代表的な名画家で、中国画壇及び美術史研究に深い影響を及ぼした人物である。郭沫若などの文学・歴史・政治的に名のある人物たちとの交流があったことなどから、その注目度は高い。書画売買市場における価格も1980年代以降急速に高騰している。彼の一部の作品は日本に存在し、彼の遺族も日本の画壇で活躍しており、あらゆる面において日本と縁のある人物だと言える。しかし日本の学界において、傅抱石への関心は低く、関連研究も不充分であり、日本語で発表された研究成果は極めて少ない。本研究は西洋的な要素という新しい視座から傅抱石を検討することで、通説となった見解を一変させるような、新規性ある仮説を打ち出すことを目指している。特に、中国で論じられてきた傅抱石に対する認識を刷新し、傅抱石における西洋的な要素の重要性を改めて提示することで、新たな領野の開拓に繋がると考えている。また、本研究では中国語・フランス語・英語の文献等を使用することで、日本における傅抱石陳   藝 婕

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