― 29 ―③ 近世近代移行期の狩野派絵師の動向に関する基礎的研究像を更新することも目的としたい。そして、傅抱石が日本から受けた影響を検討する中で、中国画壇との関係では見落とされていた日本画家たちへの再注目を促したい。先行研究で頻繁に取り上げられている横山大観(1868年■1958年)、橋本関雪(1883年■1945年)などの人物から視線を移して、高島北海(元・フランスの林学・地質学留学生)、中川紀元(元・フランスの美術留学生)、清水多嘉示(元・フランスの彫刻留学生)など、西洋と関わり深い人物を中心に検討を行う。また、東京・京都・山口、イギリス、フランス、及びアメリカのカリフォルニア・ニューヨーク・ワシントンD.C.などの地域の博物館に出向いて確認した。絵画コレクションの調査を経て、いままで利用されていなかった図像・文献資料を収集・整理も行う。新資料の研究や発表を経て、将来の研究者たちへの関連研究の深化・発展に助力できる。以上のような問題意識のもと、本研究では傅抱石を切り口に、新たな資料を使い、新たな角度から、日中美術交流史がどのように展開したのかの解明を試みる。本研究は日中両方のお互い理解を深め、日中友好、日中交流の発展させるうえでも有意義な研究だと考えられる。研 究 者:静嘉堂文庫美術館 学芸員 浦 木 賢 治維新後の狩野派の動向について全体像を示した先行研究には、戦前では大村西崖「幕府の御絵師に就きて」(1916年)、近年では狩野忠信(1864〜?)による「明治維新以来狩野派沿革」(昭和8年原稿完成)にもとづき、明治初期に公職に就いた狩野派絵師とその所属機関を取り上げた佐藤道信氏の論考「狩野派の終焉」(1991年)がある。これらにより、維新後の狩野派の動向について全体像が提示された。よって同テーマに関する今後の研究は、各絵師の詳しい動向を探る、各論の段階にある。その中で、山田久美子氏は東京藝術大学が所蔵する「東京美術学校履歴書」を参照し、浜町狩野家に生まれ、後に東京美術学校、東京盲唖学校の教員となった狩野友信(1843〜1912)の個人史を丁寧にまとめている。本研究では、上記の先行研究を鑑み、狩野派絵師の動向をより具に■ることを目的
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