― 41 ―論じた西脇常記氏の研究があり(『唐代の思想と文化』第三部、創文社、2000年)、肖像についても唐招提寺の鑑真和上像をはじめとする高僧像や各宗派の祖師像、頂相といった個別作例に関する研究が非常に充実している(根立研介「中世禅宗僧侶肖像彫刻の造像に関する研究」『鹿島美術研究(年報第12号別冊)』1995年など)。さらに、高僧の遺体そのものや遺灰を用いて肖像(遺影)が制作された事例もしばしば指摘されており、禅宗寺院の開山堂のように開祖の墓所や墓塔と共に遺影が祀られる例もあるなど、高僧の遺体および墓葬はその肖像制作・安置と密接に関係していた。こうした仏僧の墓葬と肖像の関係を巨視的に論じたものとして、小杉一雄氏(『中国仏教美術史の研究』第三部第一章、新樹社、1980年)、小林太市郎氏(「高僧崇拝と肖像の芸術―隋唐高僧像序論―」『佛敎藝術』23、1954年)、井上正氏(「肖像彫刻の一系列―僧侶肖像とその脈流―」京都国立博物館編『日本の肖像』中央公論社、1978年)らの先行研究が挙げられる。しかし、霊泉寺塔林の墓塔龕を「仏僧の墓葬と肖像制作の関係を示す遺構」として扱った先行研究はあまり見受けられない。霊泉寺塔林は中国や朝鮮半島、日本に現存する高僧像、祖師像、頂相といった仏僧の肖像制作の展開や、それらが安置される御影堂ないし開山堂のような空間の成立過程を論じるにあたり、その前史にして隘路ともいえる南北朝隋唐時代の実作例の少なさを補う存在として、注目すべき遺構といえるだろう。それでは、霊泉寺塔林において「仏僧の墓塔へ遺影をあらわす」という営為はどのような原理に基づいて行なわれたのか。また、同遺構は中国における仏僧の墓葬と肖像の関係史の中にどのように位置づけられるだろうか。こうした問題は、中国の仏僧の墓葬に反映された霊魂観と肖像の関係や、後代の高僧像制作・安置の展開過程の一断面を実際の遺構から明らかにし得ることから、美術史のみならず宗教文化史上、大いに論究する意義があるだろう。特に、インドに起こった仏教が中国の死生観やそれにまつわる造形活動に与えた影響という点で、仏僧の墓葬と肖像の関係に注目した本研究が、仏教および仏教美術の中国における受容と展開の一側面の新たな知見をもたらす足がかりとなることを目指す。
元のページ ../index.html#56