鹿島美術研究 年報第39号
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― 44 ―ることはよく知られている。公家・武家・寺社といった上層部や都市部の発注者・受容者については、すでに様々な視点から研究が蓄積され、作品の制作背景のみならず画家の活動、ひいては美術史の展開を考える上での重要な要素として考えられている。しかし地方の受容者(特に非武家)については、各地で旧家のコレクション研究などが蓄積されつつあるものの、散発的な言及や過去の研究の援用にとどまることが多い。また、受容者自身が文化的背景をもった主体的な存在として語られることは多くない。その点で、『小泉斐と高田啓輔』(栃木県立美術館ほか、2005年)、『偉大なる無名画家 小泉斐』(栃木県立博物館、2020年)および杉本欣久「小泉檀山の基礎資料について―立原翠軒『上京日録』と狩野文庫本『檀山先生門人姓名録』を中心に―」(『美術史学』40、2019年)等で示された小泉壇山(斐)をめぐる一連の研究は、師・島崎雲圃の近江商人としての活動が近世絵画へ影響したことなどを示し、示唆に富む。本研究では、近世中期から後期(享保頃から幕末を想定)にかけて存在感を増す北関東(現在の群馬・栃木・■城および埼玉県域)の「受容者」たちに注目する。彼らは絵画の受容者である以前に、一定の教養を持つ層であることが想定される。そこで、絵画とも関係の深い文学資料(俳書と漢詩文集)に注目する。収集・分析にあたり、杉仁『近世の地域と在村文化』(吉川弘文館、2001年)を参照しつつ、本研究がとるべき手法と注目すべき要素を検討する。まず北関東と関係の深い画家(与謝蕪村・小泉壇山・立原杏所・高久靄厓・渡辺崋山等)の作品や関係資料から、「受容者」をリストアップする。次に、北関東と交流のある俳人(常盤潭北、建部涼袋ら)、儒者・詩人(立原翠軒、佐藤一斎ら)の関係する俳書・漢詩文集などを確認し、地方の受容者・地域を拾い出す。上述の絵画の受容者との相関の有無を確認すると共に、年代・地理をまたいだ分布を確認し、「層」としての把握につとめる。彼ら「受容者」の一部は江戸俳壇・詩壇の一隅を占め(揖斐高『江戸詩歌論』■古書院、1998年ほか)、地域の文化活動を牽引した「地方文人」である。「地方文人」と「画家」と「俳人・詩人」間の関係を読み解き、地域・年代を超えた文学的文脈(俳人脈・詩人の継続的招聘など)上に画家との交流を重ねた時に、どのような意味が見えてくるかを検討する。上記を踏まえた上で、画家との交流が明確な特定の「地方文人」を取り上げる(例:鈴木石橋・松亭親子=下野鹿沼住、小泉壇山・高久靄厓と交流)。その著作など

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