鹿島美術研究 年報第39号
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― 48 ―⑯ 江戸時代後期における実景図制作と細川家―熊本藩御用絵師・矢野良勝の画業を中心に―研 究 者:熊本県立美術館 学芸員  金 子 岳 史江戸時代に熊本藩を治めた細川家は、室町幕府の管領を務めた名家であり、武芸だけでなく文学、茶の湯、能楽など各種の文化・芸能にも優れた。このような気風は代々受け継がれ、6代藩主重賢は全国に先駆けた藩政改革によって注目を浴びる一方、博物学に傾倒し、全国の大名と博物図譜の貸し借りを行いながら文化的な交流を行った。そして、8代藩主細川斉茲は、絵画好きの文人大名として知られ、とくに風景画を好んだ。斉茲の命で、寛政3年〜5年(1791■93)にかけて、矢野良勝が同門の衛藤良行とともに制作した《領内名勝図巻》は、肥後領国内の風景を15巻にわたって描いたもので、雪舟流の謹直な描写が特徴的な作品であり、なにより一つの藩内の風景を計400メートル以上にも及ぶ長大な画巻として、他に類を見ないものである。しかしながら、本作品は全国的な知名度を得ているとは言い難く、江戸時代の風景画史の中でも大きく取り上げられることはない。《領内名勝図巻》は、斉茲が、老中・松平定信も含めた風景画愛好の大名たちのサロンで披露されることを目的として制作させた可能性が先学により指摘されている。各藩における実景図制作については、それぞれ紹介されている作品も多いが、それらを制作させた大名同士の交流という視点では、まだ研究は進んでいない。そこで本研究では、老中・松平定信と細川家の関係を政治的な時代背景も含めて考察することで、大名たちのサロンにおける細川家の立ち位置を明らかにし、矢野良勝の画業と《領内名勝図巻》を、近世における風景画史の中に位置づけることを目的とする。従来の江戸時代の実景図認識では、池大雅ら文人画家が日本の実景を中国の聖地に見立てた実景図と、谷文晁らによる西洋画の遠近法も取り入れた写生的な実景図が主流として認識されていると言える。それに対し、18世紀末から19世紀初頭という時期に、室町時代の画家である雪舟の様式で実景図を描いた矢野良勝の存在は際立っている。江戸時代において「雪舟流」を標榜した絵師は散見されるが、桃山時代から山口に根差した雲谷派を除き、大きな潮流とはなっていない。そのような中で、15巻にわたる《領内名勝図巻》を雪舟流の技法で描き、さらに全国の風景まで描いた矢野良勝の存在は、江戸時代絵画史の中でも特異な絵師であり、もっと広く知られて然るべき

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