鹿島美術研究 年報第39号
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― 52 ―源を考察するとともに、その制作背景を探り、未だ不明瞭な点が多い白隠の画業の一端を明らかにすることにある。臨済宗中興の祖と仰がれる白隠慧鶴は、説法・行脚と並行して、庶民教化のために膨大な書画を揮毫した。近年の美術史学における研究では、「新奇」と称される白隠画の独創的な表現が注目され、近世という時代の中での白隠の位置づけを再検討する動きが高まっている。しかし白隠の特異な図像表現の着想源については、十分な検討がなされていない。本研究で取り上げる白隠筆「蛤蜊観音図」は、通例の「蛤蜊観音図」とは著しく異なり、観音を囲繞するように擬人化された海洋生物が描かれている。加えて、観音の利益としての長寿を強調する賛文が墨書される。そもそも蛤蜊観音とは、「蛤を殊の外好んだ中国の文宗帝が、なかなか開かない蛤に対して祈祷を行ったところ中から観音菩■が出現した」という中国の俗説を原拠とする。日本においては、『妙法蓮華経』第二十五「観世音菩■普門品」(以下、「観音経」とする)にある「観音は救いを求める者に応じた姿になって現れる」という記述に基づいて、中国や日本の俗信による観音三十三種をまとめた「三十三観音」が成立し、蛤蜊観音はそこに組み込まれた。白隠が描く「蛤蜊観音図」の典拠として先行研究で指摘されているのは、こうした文宗帝の説話や「観音経」にとどまる。しかしながら、両書は蛤蜊観音自体の成立に関する内容であり、白隠画における特異な図像の典拠とはなりえないと申請者は考えている。そこで本研究では、白隠以外の絵師によって描かれた「蛤蜊観音図」を網羅的に調査し、まず「蛤蜊観音図」の図像研究を行う。その上で、白隠が描く「蛤蜊観音図」の特異な図像表現を明確にするとともに、その着想源と制作背景の考察を試みる。また、白隠作品の受容者の多くが庶民であったことから、本研究では庶民文学や当時の広告的メディアとの関わりに注目する。具体的には、親孝行の徳ゆえに主人公が観音菩■によって富貴と長寿を与えられる霊験譚としての性格を持つ御伽草子「蛤の草子」との関わりを検討する。本著との関連を考察することで、民衆に寄り添った白隠が、「蛤蜊観音図」にどのような意味を込めたて描いたのか、ひいてはその制作背景が明らかになると考えている。加えて、図像表現については、錦絵や草双紙等における竜宮世界の表現との共通点にも注目し、多方面から検討したい。白隠画の研究において、図像の子細な分析や、その着想源の考察は、今後の課題で

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