鹿島美術研究 年報第39号
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― 54 ―㉑ 1970■80年代前半アメリカのパターン・アンド・デコレーションの研究―装飾と社会の関係を考える一助として―細工、赤・群青・緑・金の色彩が施され、左右対称で平面的に表されている。この表現の特徴は、若冲が《動植綵絵》とともに相国寺に寄進した《釈■三尊像》と通ずるものである。そこには豪華な止まり木で鸚鵡を荘厳する意図があったのではないだろうか。次に仏教における鸚鵡の役割について調べていく。『雑宝蔵経』の鸚鵡の説話では、鸚鵡を仏自身とする。鴨長明『発心集』には、僧の口真似をして「阿弥陀仏」と鳴く鸚鵡が死に、埋めたところ舌から蓮が生えた話が載る。また、明代以降の水月観音図に鸚鵡(鸚哥)が描かれている作例が多く見られることが報告されている。若冲は仏教における鸚鵡の役割や存在意義をふまえた上で、《鸚鵡図》を構想したのではないかと推測する。ここから若冲が《鸚鵡図》に込めた意図や画題について明らかにできると考えている。さらに、本草書や博物図譜、見世物の記録、飼鳥本、漢詩、花鳥画から、18世紀の人々が鸚鵡にどのようなイメージを抱いていたかを探っていく。なかでも、見世物の記録に、鸚鵡の頭の冠羽を「蓮華」のようであると説明しているものが複数あり、鸚鵡から蓮華が連想されていたことがうかがえる。人々が鸚鵡をどのような鳥と認識していたかを知ることは、若冲の《鸚鵡図》の受容のされ方を推測する上で有効であると考える。未だ不明な点が多い《鸚鵡図》に新たな解釈を示すことにより、若冲の画業初期に関する研究を進展させることができるだろう。また、18世紀の異国の珍鳥を取り巻く状況を考察することは、広く江戸時代の花鳥画研究にも資するものがあると考える。研 究 者:インディペンデント・キュレーター  田 中 雅 子本研究は、1970年代初期〜80年代前半にかけてアメリカ(主にニューヨークとロサンゼルス)で生じたパターン・アンド・デコレーションと称される芸術動向がなぜ興ったのか、またなぜ近年再評価されているのか。興隆当時と現在、二つの異なる時代を契機として、モダニズムと装飾そして芸術と社会、それぞれの相関関係を踏まえながら考察することを目的としている。

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