― 57 ―㉓ 和製唐物漆器の展開と特質論点4:この他に、当時のギリシア世界において行われた音楽競技会の競技場面とそれらの競技での優勝を記念して設置された奉納物を検討したい。本研究でいう音楽競技大会とは琴及び笛の力量を競うコンテストを指し、悲劇などの劇のコンテストは含めない。一般的に、神話伝承の特定の場面を示す像から成り立つ記念物は戦争における勝利や同盟の締結などがその奉納理由として想定されてきた。Ch. Ioakimidou (1997)が体系的に論じたように、デルフォイやオリュンピアにクラシック時代に建立された神話上の人物の彫像の奉納動機は多くの場合が戦争における勝利であった。本研究の意義は、これまで想定されてこなかった動機すなわち競技大会における優勝を理由に神話伝承を表す彫像がアクロポリスに奉納されていた可能性を検討する。この点において本研究は、今後の運動・音楽競技大会の優勝者による奉納物や神話を主題とする記念物についての美術史学及び競技大会をめぐる西洋古代史学の研究に貢献できるのではないかと思われる。研 究 者:東京国立博物館 研究員 福 島 修日本にもたらされる、つまり日本が求める唐物漆器(主に中国漆器)の種類と、中国で生産される漆器の変遷にはズレがある。名物の茶道具が登場し始める15世紀頃から、「茶の湯」盛期と言うべき16〜17世紀にいたる時期、同時代にあたる中国・明の漆芸は、必ずしも茶道具として珍重されていない。茶会記に登場する漆器に施された銘は「張成」「楊茂」がその代表であり、これは元時代の名工の名である。当時から見て2〜300年前に■る宋・元時代の骨董こそが、日本で求められた唐物漆器であった。明においても万暦年間には骨董ブームが起こっている。好景気に伴って財力を伸ばした富裕商人をはじめ、様々な階層が骨董市場に参入した。古い時代の美術に空前の熱気が注がれたとともに、数多くの倣古作が生まれたことが知られている。同じく骨董を欲しがる日本市場に向けて、こうした品々が輸出されることもあっただろう。いまのところ文献上の裏付けはないが、あらかじめ日本市場を見込んで製作された倣古漆器の存在も十分に想定できる。実際、茶の湯向け道具のように意匠や用途が中国国
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