― 63 ―真鍋博(1932■2000)などについても、新居浜がもつ磁場が活動に影響を与えている作家たちであり、その背景を明らかにしたい。② 地域と都市部の美術交流続いて第二の視点として、「地域と都市部の美術交流」という点に着目をしたいと考えている。新居浜における洋画史を■るとき、京都の明治画学館において田村宗立に洋画を学び、旧制西条中学校で美術教師として後進を指導した高瀬半哉(1868■1937)と、高瀬に学んだ新居浜における洋画の先駆者である岡本忠道(1888■1983)、さらに戦前期から小磯良平、小松益喜といった神戸在住の作家との交流を深めていた洋画家・飯尾時春(1909■95)、また小磯に師事し、戦後の新居浜において「オリゾン洋画研究所」を主宰した西澤富義(1915■74)などが、地域の枠組みを超えて、都市部との物的・人的な美術交流を積極的に行ってきた。こうした地域における展開は、日本の近現代美術史の大きな枠組みの中では語られることのない極めてローカルな事象といえるが、戦前から戦後期にかけて、地方の指導者たちが、如何にして中央あるいは都市部の作家たちと交流し、レベル向上や独自の問題意識を抱いていたかを確認することにより、地域の美術史を日本の近現代美術史の連関として位置付けることを試みたいと考えている。③ 自然科学への眼差しとクラフトマンシップ最後に第三の視点として、鉱工業都市・新居浜の地理的要因を背景に、技術者養成のため1939年に設立された新居浜高等工業学校の機械科第1期生である実験工房の作家・北代省三(1921■2001)と山崎英夫(1920■79)について、「自然科学への眼差しとクラフトマンシップ」という観点から、新居浜で培われた理工学的な視点や思考、さらにその後の作家活動への影響関係についての調査・研究を行いたい。北代と山崎はともに奇妙な縁から、新居浜での出会いを経て、美術家とエンジニアとして「実験工房」においてモビール・オブジェや舞台美術装置を共作する一方、模型飛行機や凧の制作・飛行実験にも没頭し、終生「ものづくり」を通じて交流を深めた。両者の創作活動の背景には、新居浜高等工業学校での各種工学理論あるいは技術の習得が存在しており、緻密な設計・計画と現場での実践・実験による対象との向き合い方は、同時代の現代美術作家のアプローチと一線を画す姿勢といえる。ここでは新居浜高等工業学校の設立経緯や、実際の授業カリキュラム、戦前・戦中期の産業界の動向などにも注目しながら、実験工房の活動にも通底する二人の「ものづくり」の原点を明らか
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