鹿島美術研究 年報第39号
86/142

― 71 ―㉛ 美術と非美術 ―19世紀のベルリンにおける非西洋地域の展示―研 究 者:京都芸術大学 非常勤講師  三 井 麻 央目的本研究は、19世紀ベルリンでの東アジア美術館および民族学博物館の展示空間を考察し、本来美術とみなされなかったこれら非西洋地域のコレクションが、美術という西洋的な枠組みの中でいかにとらえられていたか、解明することを目的とする。主な考察の中心とするのは、19世紀末にプロイセン王立博物館群の総館長となる美術史家ヴィルヘルム・フォン・ボーデ(1845■1929)による展示空間である。もとよりベルリンでは19世紀半ばより、新博物館(1855年開館)などで非西洋地域のコレクションが展示・公開されていたが、それらはあくまで民族学資料の一部としての展示であった。1880年代以降ボーデはとりわけ日本美術への関心を寄せ、林忠正(1853■1906)らを介して充実した東洋美術コレクションを築いた。従来と異なりボーデの展示は、こうした仏像や神像を含む様々なコレクションを「美術」と価値づけ、展示空間を形成したことにその画期がある。東洋美術のみならず民族学コレクションなども含めた世界各地の文物を博物館で展示することでボーデが理想としたのは、「世界美術史」の空間化であった。構想この「世界美術史」は、非西洋地域のコレクションをも「美術」と位置づけ、さらに作品として「展示」することで、博物館の空間に可視化される。したがって本研究はまず、ボーデらの時代の「美術」の位置づけをめぐる言説を■る。さらに展示空間や、空間を飾る装飾にもボーデの美術観が反映されているとみて、それらも検討対象とする。具体的な対象として、まずボーデの新しい概念に批判し続けたという①ボーデ以前のベルリンでの展示を、「世界美術史」構想に基づく②ボーデ時代の展示空間と比較するほか、③他都市で行われた同種の展示との比較を通すことでその特異さを明確にする。①について、申請者が取り組んできたベルリン新博物館(1855年開館)の展示と建築装飾の研究に加え、東洋コレクションが展示されたベルリン工芸博物館(1881年開館)や、エンデ&ベックマン設計の建築による民族学博物館(1886年開館、建築は現

元のページ  ../index.html#86

このブックを見る