鹿島美術研究 年報第39号
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― 72 ―㉜ 東魏北斉における「樹下思惟」像の図像学的研究存せず)が挙げられる。 ②ではイスラム美術の展示を行ったカイザー・フリードリヒ美術館(1904年開館、現ボーデ美術館)、東アジア美術館(1906年設置、1924年展示開始)を、そして③については同じく東洋美術の展示を先駆けて行ったオーストリア芸術工業博物館(1864年開館)やハンブルク工芸博物館(1877年開館)が対象となる。意義と価値ボーデの美術史観や各博物館の設立過程、展示には多くの先行研究があり、日本でも池田祐子や安松みゆきの研究によって批判的に省みられてきた。本研究はそれらの成果を踏まえた上で、美術概念の相対化という、より根本的なテーマ・視点から検討することに価値がある。というのも、2017年以来ベルリンの東アジア美術・民族学コレクションは独立した博物館建築を持たず、現在は複合施設「フンボルト・フォーラム」(2020年開館)で展示されている。プロイセン時代の王宮を復元した建造物での新たな展示空間は、ボーデの構想を空間化したものだといわれ、文化盗用など昨今の問題も含め開館前から議論が重ねられており、今まさに西洋型の展示行為は相対化される時機にある。よって非西洋文化圏に属する者の立場から行われる本研究が、改めてベルリンにおける展示行為を顧みることは、現在なお意義があるといえよう。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  王     姝樹下思惟像は、樹の下で半跏趺坐の姿勢で榻座に坐し、片手を頬に添えて思考する菩■像である。樹下思惟像は樹下観耕に由来すると認識されている。すなわち、釈■太子が村に出かけて樹下で休憩し、人生の苦しみや悩みについて思惟した説話を表現しており、菩提樹で悟りを開く「成道」の前触れを示している。つまり、樹下思惟像の起源は出家前の太子の位にあった釈■である。このような樹下思惟像は3世紀から9世紀にかけて多く見られる。これらは東アジアで広く流行した単体の半跏思惟像と強い関連性を持つ。朝鮮半島や日本の半跏思惟像の形式と流行し始めた時代を踏まえれば、仏教の伝播の面でも東魏北斉の樹下思惟像はその源流として極めて大きな意味がある。上記の説話的解釈がある一方で、東アジアの樹下思惟像や半跏思惟像の身分(尊

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