― 78 ―㊱ 戦国合戦図の研究地での社会的な位置付けに、隔たりがあるのではないかと疑問が生じた。例えば、日本ではガラスのプロダクト・デザインで著名なティモ・サルパネヴァ(Timo Sarpaneva, 1926■2006)は、フィンランドでは版画や金属の彫刻、またよりスケールの大きなアートピースとしてのガラス作品を残しており、さらにリュイユの制作にも携わっている。こうした認識の隔たりは、日本では一般的に、工芸は素材で分類されており、またプロダクト・デザインとは異なる文脈で取り上げられることが背景として考えられる。ただしここで注意しなくてはならないのは、工芸という言葉は日本でしか通用しない概念という特殊な用語である。高度な技術を用い、洗練された多様な表現がみられる立体造形作品としての現代の工芸は、世界的に評価を高めているにもかかわらず、こうした作品を、美術史を踏まえて論じる枠組みは未だに日本に存在しない。リュイユは、9世紀頃のヴァイキングに起源が見られ、16世紀にはすでにフィンランドでの使用が確認されている。大まかな歴史的な変遷は、前ページ「調査研究の要約」に記した通りであり、伝統的な技術や文様を踏まえながら、現在でも制作が続けられ、作家による新たな表現が見られることは、日本の工芸の展開と共通する側面でもある。フィンランドのリュイユを具体的な例として、作家による染織表現の展開と、その論じ方や社会的位置づけを明らかにすることは、日本の工芸を論じる際の新たな枠組みとして考察する上でも参考になるものと考えている。研 究 者:一橋大学大学院 社会学研究科 博士後期課程 小 口 康 仁戦国合戦図研究は、1997年高橋修氏によって近世絵画史のひとつのジャンルとして、新たに「戦国合戦図」の一項を立てるべきであると提言された。戦国合戦図は、注文主である大名が、屏風の画面内で先祖の武功を称揚し、それを子孫に伝えることで、泰平の世における自家の保証とするために制作させたとみられている。この点で同時代の都市風俗を描く洛中洛外図のような風俗図や、特定の軍記物語の場面を忠実に絵画化しようとした源平合戦図といった物語図とは異なる性格を有することがわかる。しかし、この提言から20年以上も経過した今日において、戦国合戦図に関する様
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