鹿島美術研究 年報第39号
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― 79 ―式分析を行なった研究は数少ない。研究が未だ不充分である背景には、戦国合戦図が特殊な表現様式であるため、検証するにあたって有効な比較作品に乏しいこと、正系の絵師が関与した作例が極めて少なく、絵師の特定に窮する状況などがあげられる。戦国合戦図の絵画史的な位置づけを行なうにあたってまず取り組むべき作品は、「長篠合戦図屏風」である。本主題は、戦国合戦図の中でも多くの作例が遺り、その制作は17世紀から19世紀にわたる。その最初期の作例は、名古屋市博物館所蔵の六曲一隻屏風である。金雲と金のすやり霞が混在する表現から、17世紀半ばの制作と推定されている。その後、この「長篠合戦図屏風」の祖型となったのは、尾張藩付家老成瀬家に伝来した成瀬家本である。本作以降制作された写本は、構図やモチーフをそのまま踏襲するものと、構図を踏襲しつつモチーフにやや変更を加える二系統にわかれた。後者にあたる18世紀制作の旧浦野家本では、連合軍の鉄砲隊に死傷者がみえ、徳川家康の姿も松で隠す神格化の影響が認められる。その後制作された徳川美術館本では、鉄砲から発射する黒煙が追加された。そして、現存最も時代が下る東京国立博物館所蔵下絵(以下、東博下絵)では、六面から八面へ拡張した画面内で、成瀬家本や旧浦野家本、徳川美術館本にみられた表現法を採用する一方で、より臨場感が増した合戦表現へと展開する。このように「長篠合戦図屏風」は、17世紀から19世紀にかけて図様を変容させながら展開したことから、本主題屏風を分析することは、戦国合戦図の様式研究において縦軸の指標を作ることが期待できる。これを踏まえて本研究では、木■町狩野家の当主たちによって制作が進められた東博下絵に注目したい。東博下絵は成瀬家本の構図を基に、保元平治合戦図のような絵画作品や、信玄備之図といった陣立図など、様々な様式の先行作例から図様を形成していったことが『公用日記』からもわかる。これらの資料は、現在東京国立博物館に所蔵されている木■町狩野家伝来の下絵、粉本類の中にある可能性が高いことから、まずは『公用日記』において一つ書きで示された参考資料の特定と、それを踏まえた比較分析を試みたい。また、本作と対になるとみられる「長久手合戦図屏風下絵」は、近年発見されたばかりの作品であることから、作品自体の位置づけを行なう基礎研究を要する。これら「長篠長久手合戦図屏風下絵」は、それまでの同主題作例から発展した新図であることは明らかであり、本作の研究を進めることで、①戦国合戦図制作の実態、②粉本主義といわれた幕末の木■町狩野家における新図制作の背景を明らかにできると考える。

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