― 80 ―㊲ 画僧鑑貞と中世南都の水墨画壇研 究 者:京都国立博物館 研究員 森 道 彦本研究の目的は室町時代の画僧、鑑貞の作例について、その画風と様式を整理し検討を加えながら、彼の作画環境であった中世後期の南都における水墨画壇のあり様に着目し、その絵画史上の意義を検証することである。鑑貞は雪舟派ではないものの、独自に雪舟画に学んだ形跡が指摘されている畿内の特殊な中世画人である。来歴はほとんど不詳だが、遺品が比較的現存し、かつ落款等に頼らずとも認識できる明瞭な個人様式を有している。作風は独特ながらかなり洗練されており、長らく室町水墨画研究者の注目を浴びてきたが、編年や周辺の同時代画人との比較といった作業はあまり行われていなかった。本研究においては、この人物を改めて室町水墨画史の中に確実に定位するため、作品調査と分類に始まる基礎作業を改めて実施する。私見では、鑑貞画には周文様式や阿弥派様式、雪舟様式といった15世紀後半〜16世紀初頭に各地で流行した複数の画風が様々に形を変えて流れ込み、作風の確立と洗練の過程に合わせて少しずつ遷移を見せている。彼自身は恐らく特定の画系に属するのではなく、複数の画系が各地で並行して活動していた時代に、色々な作品や需要と接しながら独自に自己の画風形成を行なった画人と見られる。その画風の形成過程は、室町時代における流派様式の流行の外縁、流派のあわいで生きた中世水墨画人のケーススタディとして非常に興味深いものがある。加えて彼の画風を考える上で、彼が生きた南都という環境にも注目したい。それは南都が京の近隣にあって最も大規模に水墨画受容が行われた地域の一つであり、京を中心とする水墨画文化の周縁に位置する点で、鑑貞画がはらむ性格をよく体現しているように思われるからである。本研究では鑑貞画の性格について、山田道安や楊月といった南山城・南都で活動した画人とも比較検討を加えたい。最終的にはそれを通じて、南都の水墨画人たちを一個の地域画壇として評価することが目標であり、恐らくはその作業の先に、京の著名な画人たちを含めた畿内の漢画・水墨画壇の実態のより精緻な把握もあり得るだろう。このように本研究は鑑貞画の再検討と定位であるとともに、従来明瞭な形をとっていなかった南都という新しい地域画壇の存在の発掘作業でもある。それは畿内画壇の多様性を示すものであって、かつその検証過程には、中央画壇と地方画壇、様式の伝
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