鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■に■■■■研究古代マトゥラーの宗教事情にかかわる研究では、これまで、仏像の起源の問題、仏像に付される「菩■」銘の問題、ヤクシャ信仰やナーガ信仰の受容、ジャイナ教の展開といったキーワードからの問題提起が主として行われており、当地における宗教文化の多様さと複雑さを明らかにしてきた。本研究では、これら先行研究の成果を踏まえつつ、弥勒信仰研究の立場から改めてマトゥラー周辺の宗教環境を問い直す。マトゥラーには説一切有部、大衆部、法蔵部の拠点があったことが、碑文学の成果などをもとに指摘されている。弥勒像が法蔵部に奉納されたことを示す銘文もみえ、部派が尊像をどう理解し、受け入れていたかを明らかにする一助となることも見込まれる。マトゥラーという場の歴史的位置づけの考察にも、本研究の立場から新たな視座を提供できるものと考える。構想:以上、マトゥラー周辺の環境に配慮しつつ、当地における弥勒理解の程度と方法論を探る。そのうえで、同時代のガンダーラの状況と比較検討を行い、両地域の類似性と相違性を明確にする。かかる作業を踏まえて、ゆくゆくは、汎アジアに広がった弥勒イメージが、それぞれの地域で受容され、新たなる展開を迎える際に、ガンダーラとマトゥラーの情報がどの程度取捨選択されたのかを明らかにすることを視野に入れている。本研究は、かかるケーススタディのための起点となる作業と位置付けられる。研 究 者:神戸市立博物館 学芸員  中 山 創 太本研究は、京阿蘭陀の意匠について考察し、その変遷を■ることで、当時の人々にとっての「異国趣味」を明らかにすることを目的としている。はじめに、これまで京阿蘭陀の作例の中で、年記のある基準作例が3件を中心に据え、現在確認されている京阿蘭陀作品を悉皆的に調査し、器形、意匠、銘、収納箱の墨書、伝来などを整理していく。そのうち最も早い作例が文化13年(1816)の年記を持つ「藍絵花卉唐草文四段重」(神戸市立博物館蔵[びいどろ史料庫コレクション])は、器体を埋め尽くすような花卉唐草文の意匠で飾られている。2点目は、天保3年(1833)の年記を持ち、尾張徳川家に伝来する「阿蘭陀写耳附御花活」「同臺」(徳川美術館蔵)である。第十一代将軍徳川家斉(1773■1841)の「御通抜」の際に取り■― 91 ―

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