鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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語られてきたきらいがある。一方で、芸術作品を都市における社会的な生産物として捉え、アングルが制作した場、受容者や依頼主、ライバルや友人といった、彼を実際に取り巻いていた19世紀初頭の都市ローマに特有の要請に起因する可能性を踏まえた議論はほとんどなされていない。こうした現状を鑑み、クイリナーレ宮殿装飾事業というひとつの事例に焦点を絞り、彼の制作態度を作品に基づいて具体的に考察することで、アングルの美の規範やイメージがいかに形成されていったのか、その一端を明らかにする点に本研究の意義がある。【価値】当時のローマでは、ヨーロッパ各国から集った芸術家たちがそれぞれコミュニティを形成しながらも、各々が閉鎖的になるのではなく、お互いに交流しながら美術シーンを作り上げていたことが、これまでの19世紀ローマ美術の研究によって明らかにされている。以上のような19世紀初頭ローマの美術シーンの在り方を縮図として示すのが、クイリナーレ宮殿装飾事業である。本事業は、従来ローマ法王の館であったクイリナーレ宮殿を、皇帝ナポレオン一世のローマ滞在時の居館とするために改装し、装飾するという大掛かりな事業であり、多国籍の芸術家たちが参加した国際的なものであった。本事業に関する研究は、1989年にナトリとスカルパティによって一次資料が網羅的にまとめられ前進したが、膨大な作品数と、有名無名数多の芸術家が参加していたことからも、個々の作品の意義や、作品間の連関、芸術家間の交流という観点での研究はなされていない。本研究は、クイリナーレ宮殿装飾事業を例に、アングルを核として、彼と周囲の芸術家たちが織りなすローマの美術シーンの一端を捉え直すという点で、従来の研究とは異なる価値があると考える。【構想】筆者は、アングルのローマ滞在期における絵画制作について継続して研究を行ってきた。博士論文では、当該期のアングル作品をa.ローマ校留学期(1806〜11年)、b.第一帝政崩壊まで(1811〜15年)、c.第一帝政崩壊後(1815〜20年)の3つに区分したうえで、それぞれの時期で重要な作品および作品群を選定し、19世紀初頭の都市ローマが持つ多様な場のコンテクストの分析から、いかにアングルの美の規範が形成されたのかを明らかにすることを目標としている。本研究では、博士論文における区分bに該当するため、フランス第一帝政の支配下にあったローマにおける芸術家たちのコミュニティ間の均衡不均衡にも注意を払いながら、上述の目標を達成することを― 95 ―

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