な回顧展が開催されていたにもかかわらず、この展覧会はこれまでにそれほど注目されておらず、その詳細が充分に検討されていない。今回の調査研究の目的は、画家の没後30周年を記念して、1936年5月20日から10月11日にかけて、オランジュリー美術館で開催されたセザンヌの一大回顧展にまつわる内容を精査することにある。油彩画113点のほか、水彩画と素描を含んだ189点の作品が一堂に会したこの回顧展は、国立美術館が総力をあげて開催したものであり、第一次世界大戦後の「秩序への回帰」を経た戦間期におけるナショナリズムの高揚のなかで、当時の前衛芸術におけるひとつの起源としてのセザンヌの芸術を、フランスの伝統のなかにあらためて位置づけることを目的としていた。加えて、同年にはセザンヌ芸術の総体を示すべく、初めてとなるカタログ・レゾネがフランス語で出版されている(Lionello Venturi, Cézanne, son art, son œuvre: Catalogue Raisonné, ■ tomes, Paul Rosenberg, Paris, 1936.)ことからも、美術史上の巨匠としてのセザンヌを歴史化し、新たな意義を与えるための時機が到来していたことがわかる。このような傾向は一見すると、同年にニューヨークで開催されたモダン・アートの祭典において、国籍を問わない純粋な芸術を発展史観のもとに捉えた、前衛美術を称揚するための、世界的なコスモポリタニズムの動向とは対照的であると思われる。セザンヌの名声が国際的に確立されたのは主として、アングロ=サクソン系の言説によって牽引された形式主義による解釈に基づいたものである。他方、画家の母国であるフランスでは、国際的な高い評価を逆輸入することで自国の歴史を称揚しようとする、いわゆるフランシスムの動向が現れる。セザンヌを古典として再定義する格好の機会であるくだんの回顧展の際に、この時期に特有の論理や修辞がどのように用いられたのであろうか。また、ナショナリズムとコスモポリタニズムが併存する戦間期における前衛と古典にまつわる問題は、何もフランスに限られた話題というわけではない。日本でもわが国特有のかたちでセザンヌの芸術が受容されたことが、先行研究により明らかとなっており(永井隆則『セザンヌ受容の研究』中央公論美術出版、2007年)、戦間期におけるセザンヌ受容の特質は、「寫實」、そして「造型」という用語で総括されている。このような日本における受容の様相を、前衛と古典との振幅のなかで捉えなおす作業を通じて、とりわけ日本において広範に伝播した「画聖」としての芸術家像の意義を考察する。― 98 ―
元のページ ../index.html#111