浮世絵の名所絵や近世の真景図と比較をすることで、日本美術において描かれ続けてきた名所絵が洋画の中でどのように命脈を保ったかをあきらかにする。これまでに明治の初期洋画の風景画を、作家ごとでなく風景画以前の作品群と捉えて日本美術史上に位置づける研究は見られなかった。さらに本研究は当時の鑑賞環境や油彩画の見世物的な位置づけ、夜景表現の流行など初期日本洋画壇の状況を照らし合わせて分析し、洋画の受容状況について検討する。こうした観点による日本近代美術研究はないため、本研究はきわめて意義のあるものだと考える。(構想)調査対象となる「風景画」には日本近代洋画の祖 高橋由一、その弟子であり留学経験をもたない彭城貞徳、留学経験はあるが彭城と同じく工部美術学校に学んだ浅井忠や小山正太郎、和田英作、山本芳翠、さらに江戸以来の伝統的な特徴を多く継承する五姓田派の渡辺文三郎や二世芳柳、そして初代芳柳の息子である五姓田義松、浮世絵の連作の形式をそのまま油彩画に応用した亀井竹二郎などによる特徴ある風景作品を取り上げる。これらについてまずは描かれた場所がいわゆる「名所」であるかどうかを確認し、分類する。名所を描いたものについては、さらに「構図」「画面比」「モチーフ」「人物の描写」などの観点から観察し、浮世絵を含む近世の「名所絵」とどの程度の共通点が見られるかを比較により検証する。また、初期の洋画は、高橋由一の《旧江戸城図》のように、写真表現が参照されたが、名所絵葉書や写真との関係も考慮する。写真が与えた視覚の変化が、名所絵の視点といかに融合したかを浮かび上がらせたい。起点としては、筆者の勤務する宇都宮美術館の所蔵であり、個別の風景画研究が進んでいる高橋由一作品の中でも《中洲月夜の図》を取り上げたい。本作は月見の名所である隅田川のうち「中洲」と呼ばれたエリアを題材に、江戸期から知れ渡っていたいわゆる「名所」で「月」を見るという伝統的な情景を描いている。つまり従来の「名所」にモチーフとして寄り添った作品である一方、構図やモチーフの描写には前代の模倣に留まらない新たな試みの様子が見られ、今回の検証に似つかわしいと考えられる。― 101 ―
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