■ ■■■■■■■■美術■成■に関する研究 ■■■■■■■■に■多くみられると考えられる天保年間以降を幕末の絵画と想定し、実際の作品調査を経て、幕末の洋風画の特徴を導き出すことを目的とする。もうひとつは、「洋風画」とは何か、という点である。日本絵画が西洋絵画をいかに受容したかという問いは、近世・近代の日本美術史において非常に重要な視点である。洋風画とは一般的に「明治時代以前に西洋美術にならって日本人によって描かれた作品」とされる。一方、近代以降、本格的に西洋絵画の素材・技法で描かれた作品は「洋画」とよばれ、洋画の対概念として「日本画」という言葉が生まれた。近代に生まれた洋画は、幕末明治期にかけて川上冬崖(1827または1828〜81)や高橋由一(1828〜94)らの活躍によって発展していくとする考えが通例だが、さらに時代をさかのぼって江戸時代中期の眼鏡絵や秋田蘭画、続く司馬江漢ら写実性のある作品に洋画の黎明をみる研究もある。本調査研究においては、各作品の分析を通じて、江戸時代の洋風画から近代の洋画・日本画へと移り変わる過程で、どのような連続性と断絶性があるのかを検討し、幕末明治期の洋風画と近代絵画との関係性をたどりたい。また、幕末明治期の洋風画に関しては、所蔵先の多様さも一因であるが、各作品について、制作背景、制作年代など、検討すべき課題が多く、手付かずの部分がまだ様々に残されている。本調査研究では、幕末の洋風画家安田雷洲を中心に、各作品の制作背景や西洋絵画との関連(原図の有無)、西洋画法の影響、同時代の作品との関連性を検討し、幕末明治期の洋風画の特質を見直してゆく。本調査研究は、日本絵画史における洋風画の位置づけを再検証するととともに、近世から近代にかけての日本絵画と西洋絵画の関係性を改めて考証するという点で価値があるものと考える。研 究 者:九州芸文館 学芸員 羽 鳥 悠 樹本研究は、従来一元的に理解されることの多かったインドネシア近代美術形成期の多様な側面に注目し、プルサギ活動時に制作されたS. スジョヨノ《開かれた蚊帳の前で》(1939年)、アグス・ジャヤ《タイトル不詳》(1942年)を取り上げ、それらを当時の芸術的環境、文脈に即して改めて検討しようとするものである。その意義として、以下の二点を挙げたい。一点目は、各作品の詳細な研究を行うことで、従来大きな枠組みのなかで語られることの多かったインドネシア近代美術史を、具体的な作品― 105 ―
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