鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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に基づいて捉え直すことが可能になるということ。インドネシア近代美術史研究は、インドネシア国内でもその研究者は少なく、個別の作品研究が決定的に不足しているという問題を抱えている。これは東南アジア地域の近代美術史研究全体的に言える課題でもあるが、本研究の進展による具体的な作例の研究の蓄積が、当該地域の近代美術史研究に寄与する余地はまだまだ大きいといえる。二点目は、インドネシア近代美術形成期におけるインドネシア人画家の画壇進出に大きな役割を果たした画家団体プルサギの多様な側面を明らかにすることである。インドネシア近代美術の幕開けに極めて重要な役割を果たしたのが、アグス・ジャヤとスジョヨノが率いた画家団体プルサギである。プルサギは、まだ絵画界がオランダ人を中心としていた1940年、41年にグループ展を開催、成功させ、インドネシア人画家の実力を当時の絵画界に示した。従来の研究では、現存する当時の作品が少ないという問題もあるが、個々の作品は詳細に検討されないまま、プルサギはナショナリズムの気運の高まりという社会的背景と強く結び付けられ、美術における国民性の追求を目的としていたと、団体として一元的に理解され、各画家の独自性はほとんど注目されてこなかった。しかし、ジャワの伝統にインドネシア性を託したアグス・ジャヤに対し、飽くまでも同時代の身の回りの現実を眼差したスジョヨノといったように、国民性、インドネシア性の認識の違いが、それぞれの作品に如実に現れている。本研究は、こうした画家の芸術観を作品に基づいて実証的に明らかにすることによって、インドネシア近代美術形成期の諸相を多角的に理解するとともに、プルサギの解釈にも再考を迫るという点で、その価値が認められる。本研究の進展は、その後1950年代以降、西ジャワ州のバンドン工科大学を中心とした絵画平面上の純粋性を追求するモダニズム絵画と、ジョグジャカルタのインドネシア芸術アカデミーを中心とした社会派の具象絵画の対立に関しても、その前史として重要な視座を与えるものになる。また、プルサギはインドネシア近代美術史における最初期の画家集団の一つであるが、インドネシアではその後、独立戦争期に各地で勃興したサンガルや、1974年に発足した新美術運動、近年世界的な注目を集めているコレクティヴと、集団的な芸術実践が継続的に行われており、インドネシア美術の一つの特徴となっている。本研究によって、画家集団プルサギの活動の歴史的意義が明らかになれば、インドネシア美術史を集団性というキーワードから捉え直す基盤を得ることができる。従って、今後の研究の構想として、ヨーロッパから輸入した美術概念― 106 ―

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