鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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法を使って独自の和様水墨画を創り出したことが指摘されてきた。菊と葵の相克という政治的解釈も行われてきた。しかし、なぜ宗達が天神の牛を選んだのかという、借用の意図については不問に付されてきた。奥井氏の研究は、この問題について、光廣による賛の内容を分析し、烏丸光廣という人間にも目配りを施しながら、顕微鏡機能付きコンパクトカメラを用いることによってはじめて知りえた点なども検証し、その制作意図を多角的に考察したものである。「北野天神縁起絵巻」からの借用は、北野社と光廣との密接な関係から解釈された。つまり、天神である菅原道真は歌道の神でもあり、和歌と漢詩の威霊として崇拝されてきたが、光廣も詩歌で一頭地を抜く宮廷歌人であり、北野社は宮廷にとっても光廣にとっても重要な聖地であった。また社会的背景として、豊臣秀吉と秀頼による天満宮復興により、天神信仰が高まっていた。しかもこの牛は、宗達にとっても重要なモチーフであった。それは静嘉堂文庫美術館所蔵・宗達筆「関屋澪標図屏風」にも描かれていることによって証明される。さらに奥井氏は光廣の賛を詳細に分析する。和歌・漢詩ともに、自由への強い希求が詠まれており、その基底には禅の思想や『荘子』がある。光廣は沢庵宗彭や一絲文守などの禅僧と親しく交流したが、当時の宮廷は禅林と深い関係に結ばれており、宮廷文化に禅が強く浸透していたのである。その水墨表現について、かの牧谿法常に加えて、南宋の禅僧画家で罔両画の祖とされ、その牛図が日本へももたらされていた老牛智融の推定される画風との共通性が指摘された点も興味深い。禅という漢の世界に、宮廷歌人の賛者にふさわしいやまと絵を取り入れ、禅の悟りの境地を表わした宗達の「牛図」双幅は、革新的な禅の水墨画の誕生であったと結論づけられた。宗達と光廣のコラボレーション作ともいうべき「牛図」双幅の制作意図に関する画期的にして説得力に富む研究として、第28回鹿島美術財団賞が贈られることになった。優秀賞には村田梨沙氏の「平福穂庵によるアイヌ絵についての研究―先行作例および同時代文人との関係を中心に―」が選ばれた。平福穂庵は秋田県角館出身の日本画家で、現在再評価がはじまりつつある。アイヌ絵が大きく展開した明治10年代の活動を中心に、同時代画家との交流や影響関係に注目しつつ、穂庵の画風展開と独自のアイヌ絵確立の道程を実証的に考察し、高く評価された画家研究である。(文責:河野元昭委員)― 18 ―

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