2.■■■■■■■■■■■画に■■■■■■■■■■■ポーラ美術館 学芸課長 今 井 敬 子■■■近年、国内外で絵画の科学調査が著しい進展を遂げ、ピカソ研究にも新知見がもたらされている。光学調査等の非破壊調査のほか、絵具層のサンプル分析が実施され、画面の下から表面と異なる構図の画像や異なる色彩の層が見出された作例が報告されている。それらの研究成果を参照し、ピカソのカンヴァスのリユースにおけるいくつかの特徴的な手法を、「支持体の扱い」と「画面の変更」という二つの観点から繙く。ピカソは描き直しの目的に合わせ、再利用する支持体を自由に活用した。「青の時代」の油彩画の制作では、カンヴァス等の支持体の向きを90度、または180度回転させて、新たに別の構図の絵画を制作した例をはじめ、支持体の表面だけでなく裏面にも作画した例や、他者が使用したカンヴァスの再利用も、本調査により確認された。また、画面の変更に着目すると、描かれたモティーフを「覆い隠す」意図と、新たなイメージを「描出する」意図の双方が働き、「青の時代」のスタイルを成す平面的な描法や構図法が引き出されたことが伺える。例えば、《海辺の母子像》(1902年、ポーラ美術館蔵)の支持体には、かつて酒場の女性像が描かれていたが、ピカソはこの女本発表ではパブロ・ピカソ(1881■1973年)の「青の時代」(1901■1905年)の油彩画を対象に、自作の絵画または他の画家の手による絵画のカンヴァス等を再利用(リユース)し、描き直しを行った制作のプロセスについて論じる。これにより、絵画制作を更新し続けた画家ピカソの原点として、「青の時代」の再考を試みる。1901年6月、ピカソはパリのヴォラール画廊にて展覧会を開幕させ、画家としての本格的なデビューを果たした。その後、作品が売れず困窮するなかで、ピカソはカンヴァスを再利用しながら旺盛に制作を続け、1901年の秋頃にはじまる「青の時代」に、貧困や死を主題に青を主調色とした絵画に取り組み、オリジナリティを獲得していく。この結果、複数のイメージが一枚の支持体に重ねられ、封じ込められた状態の絵画が数多く残された。画面の変更、さらには描法の変更というピカソ研究の根幹に関わる制作の問題を射程に捉えた上で、この時代に特徴的に現れた描き直しの「プラクティス」(実践・習慣)を明らかにする。― 22 ―
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