3.■■■■■■■■■■■■■■■に関する研究京都市立芸術大学 非常勤講師 奥 井 素 子性像の顔の部分に重なるように構図の中心となる母子の頭部を配し、酒杯などの置かれた酒場の情景をシンプルな海景へと塗り変えた。このように各作品を詳しく調べると、表層のイメージと、下層にかつて描かれ隠されてしまった図像との間に、造形的な連関や意味論的な繋がりを指摘することができる。「青の時代」に追究された絵画表現は、他の画家に類例のないピカソ独自の描き直しのプラクティスとの関係から、読み解かれる必要がある。■■■そこで、今回の発表では、まず、左幅の宗達の真筆問題についての調査結果の報告、光廣の賛の解釈、宗達が「北野天神縁起絵巻」から牛の図像を借用した意図を含めた制作意図の考察、それから、水墨画に和歌と漢詩の賛を組み合わせるという極めて珍しい形態が生まれた制作背景の考察を述べる。さらに宗達の牛の水墨画の源泉を探る。具体的には、賛については、光廣が宗達の牛を見て、詠んでいるため、当時光廣がこの牛をどのように見ていたかがわかり、和歌も漢詩も禅の文脈から読み解くことができた。宗達の牛もその文脈で描かれたとみることができる。また、宗達が「北野天神縁起絵巻」から牛の図像を借用した点については、単に借用したのではなく、何らかの意図があって借用したと考え、光廣と北野社との関わりなどから、光廣にふさわ俵屋宗達(生没年不詳)の水墨画の代表作のひとつである、俵屋宗達筆・烏丸光廣賛「牛図」(重文、頂妙寺蔵、双幅)の研究について発表する。この作品は、宗達が描いた各牛の絵に、宮廷歌人の烏丸光廣(1579〜1638)が右幅に和歌を、左幅に漢詩の賛を揮毫している。宗達がたらし込みで新しい水墨画を生みだしたと評価されているものの、これまでの研究では、左幅の牛の絵が宗達真筆ではない等の指摘があり、また牛の図像は、弘安本系の「北野天神縁起絵巻」から借用されていることが山根有三氏によって指摘されたが、単に借用されたといった見方でみられている。光廣の賛の解釈や制作意図、またその背景などについては未だ研究されていない。― 23 ―
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