鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■■4.■■■■■■■■■■■■■■■■■■■に■■る■■■■■■出   ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■関■■しい牛を宗達が意図して借用したであろうことを述べる。また、宗達の牛の水墨画の源泉を探ることで、さらなる奥深さや、革新的な点を指摘できないか試みた。これらの結果、光廣が和歌と漢詩を融合させているのと同時に、宗達もまた、水墨画という漢の世界に、和の牛と、和の技法も融合させた革新的な作品に仕上げているといえるだろう。さらに、今回の研究から、禅文化が宮廷の中に広がっていたことがみえてきた。そのような背景からこの作品が生まれてきたと考えられることを指摘したい。慶應義塾大学アート・センター所員/学芸員  新 倉 慎 右■■■ミケランジェロは制作した彫刻作品がどこに置かれるかを考慮に入れ、作品の造形にそれを反映させている。このことは、彼が鑑賞者の視点を意識し、自らの作品の造形を決定する一要素として利用していたということを意味する。ミケランジェロ作品の視点に関しては、特定の作品を除いてこれまで深く検討されることがほとんどなかったが、彫刻における視点の創出が造形そのものと不可分であることを考えるならば、視点を切り口とする考察は、新たな観点からミケランジェロ作品の造形を問い直すことに他ならない。《ダヴィデ》のような正面性の強い古典的性を有する作品だけでなく、ミケランジェロが特に最後のフィレンツェ時代(1516■1534年)に、《サムソンとペリシテ人》をはじめとした多方向から鑑賞されうる作品を制作していることは、トルナイをはじめとした研究者に指摘されている。こうした作品では鑑賞者の視線の方向に対する意識が、より造形決定に影響を及ぼすことは想像に難くない。一方でルネサンスやマニエリスムにおいて、芸術家や理論家が彫刻を語る際に用いた彫刻の「多視点性」という概念は基本的に、解剖学的に正確な丸彫りを念頭に置いたものであった。しかしミケランジェロが制作した彫刻はそれを超えて、ローゼンベルクが指摘するように、「各観面を接続し、視点を誘導することによって鑑賞者の立ち位置の変更を促す」という― 2  ―

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