鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■■■画に■■る■■■■■■■研究研 究 者:東京文化財研究所 研究員  吉 田 暁 子本研究の意義は、《静物(手を描き入れし静物)》という異例の作品を含む静物画の光学調査を行い、絵画制作のプロセスそのものに光を当てることで、岸田劉生による静物画の意義に迫るところにある。科学的な調査と文献調査とを合わせて行うことで、近代的な絵画観を疑問視して古典的な技法に回帰したと考えられてきた岸田劉生の芸術についての従来の見解を更新し、同時代の絵画における価値を再考することが本研究の目的である。《静物(手を描き入れし静物)》は、「手」を描き入れるという独自の表現と、その「手」が消されるという変化により、二重に理解しにくい存在となった。同作の正当な評価のためには、完成当初の姿を可能な限り正確に再現した上で、「手」がいつ誰によって消されたかといった基本的な問題を議論する必要があり、本研究で行う材料分析等の科学的調査と、同時代における文献資料の探索は、そのために不可欠である。その上で、本研究では、複数の静物画に光学調査の対象を広げ、制作途中の「描き直し」の痕にも注目して、岸田がどのように静物画の構図を決め、画面を作っていたのかを検証する。岸田の絵画は古典的絵画への「出直し」と評されることもあったが、制作途中の「描き直し」は、下絵に基づく本画制作を原則とするアカデミックな絵画とは異質なものである。こうした行為がどの程度、どのように行われたのかを明らかにすることは、岸田の絵画に対する評価にとって本質的なものだといえる。岸田による芸術論の執筆は、質量ともに同時代の日本の画家の中でも際立っているが、その中で、静物画には特別な意義が与えられていた。これらの文章はしばしば静物画の制作と並行して執筆されており、また発表後に書き直されることもあった。これらの文章と静物画制作との時系列を整理し、自筆原稿を中心に、雑誌掲載原稿、書籍掲載原稿との異同を追い、岸田の思考の変遷をたどることで、静物画の制作と思考との関係性をより明確にすることが、本研究のもうひとつの目的である。岸田の活動時期は、キュビスム、未来派、表現主義などの西洋の最新の美術動向が次々と西洋からもたらされて日本でも独自に解釈され、発表された時代であった。岸田は前衛的な美術動向に対して否定的な発言をすることも多かったが、彼が盛んに芸術論を執筆し、自らの芸術的立場を明らかにする努力を続けたことは、極めて近代的な態度とい― 30 ―

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