■ ■■■ ■■■■ ■■■■■■■■■■■画■に■■■4 ■■■に■■る■■■■■■■■■■に関する研究■■■■■■■■■■■■画■■■画■■■■■に■■■える。本研究のもうひとつの意義は、岸田の芸術論を、実作との関係性を含めてつぶさに検証することで、同時代における岸田の芸術の意義を再評価することである。岸田の静物画制作には多くの時間と言葉とが費やされ、彼の芸術的立場を理解する上で多くのヒントを残している。筆者は、本研究を通じて岸田の静物画制作の秘密に迫ることで、西洋的な近代美術という価値観が単一のものではなく、複数の「近代美術」が世界的に並行して進行したと考えられるようになった近年の美術史研究の中で、岸田の芸術の意義を改めて位置付けることを構想している。研 究 者:東京藝術大学 非常勤講師 片 山 真理子○意義江戸時代、日朝における画賛の交流は朝鮮通信使来日時に常に行われたものである。しかし、本作は朝鮮通信使来日時のものではなく、日本で描かれた絵画に朝鮮人の着賛を得ることを目的に行き来した異例の作例である。狩野探幽筆三教図(三幅対)は朝鮮へ送られて、賛を得て再び日本へ送り返され、京都建仁寺に現存する。対馬以酊庵の存在を知ることになり、画賛の交流の形をみる本研究の意義は大きい。○今後の研究への影響これまで朝鮮通信使の来日時がクローズアップされてきた本分野において、関係する■山倭館、対馬以酊庵、そして京都五山とのネットワークへの関心が深まることであろう。研 究 者:■城県立歴史館 学芸員 蔀 政 人中世における聖徳太子信仰は、浄土真宗の門徒や律宗の僧たちがその中心を担っていた。■城の地には、親鸞や忍性が下向しており、彼らが去った後も教えを受けた者― 31 ―
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