■ ■■■■正■■国■■画に■■■ ■画■■■■■■■■書■■関■■朗「竹内久一研究、その活動と影響をめぐって」(『鹿島美術財団年報』33号、鹿島美術財団、2015年)などが先行研究として挙げられる。しかしそれらは竹内久一の≪神武天皇立像≫を取り上げつつも、竹内久一と田中智学の関係や、近代における神武天皇の表象に日蓮主義者が深く関わっていた点を取り上げていないなどの問題がある。また、植中直齋について、その作品は従来あまり研究対象にされてこなかったという問題がある。私は、紀元2600年奉祝美術展覧会に出品された直齋の≪如意珠≫にみる図像表現や主題は、戦時期における近代日本の神功皇后の表象を分析する際の重要な作例として、特に研究する必要があると考えている。本研究は竹内久一の≪神武天皇立像≫や植中直齋の≪如意珠≫などの作品分析を通じて、従来注目されてこなかった竹内久一と植中直齋の日蓮主義の関係を明らかにするものであると同時に、近代における神武天皇及び神功皇后の表象の一例を具体的に明らかにするものである。私の研究は、個々の作家が自国の古代をどのように捉えていたのかを、日蓮主義者による古代表象の観点から明らかにし、神武天皇や神功皇后が近代においてどのように表象されたのかを分析するうえで、有効な新しい視点を提供するものとなるだろう。研 究 者:ジェイアール西日本伊勢丹 美術館「えき」KYOTO 学芸員 本研究の目的は、養正館国史絵画館に設置された国史絵画の画題選定についての詳細を、当時の歴史教育との関連から明らかにすることである。【意義】養正館の国史絵画は、明治10年代の日本画、洋画ともに模索期にあった頃の歴史画とは性質が異なり、蔵屋氏の指摘する通り「明治から敗戦までの社会の中で壁画が得た役割の究極の姿」として、芸術性よりも情報としての正確さが優先され、歴史教育資材としての役割を担った、近代日本美術における歴史画のひとつの終着点と言える存在であった。また、戦前までの日本の歴史教育の最後であり最大の形態としての重要な資料ともなりえるものでもある。では、なぜ養正館はそのような役割を得ることになったのかという点において、当時の日本で「歴史画」という主題が置かれた位置三 宅 礼 夏― 36 ―
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