鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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と、「図像を効果的に用いた歴史教育」が繋がっていることが想定される。こうした時代背景を探り、当時の教育が何に重点を置き、それが第二次世界対戦前夜の日本にどのように作用したかを探ることで、養正館国史絵画館という明確でありつつ不可思議な施設に、その存在理由を具体的に提示できるものと考える。【価値】これまでは国史絵画の「歴史画」という主題そのものや、施設の建設目的または役割に重点を置かれた研究がなされてきたが、その「役割」について、なぜ担うことになったのか、どのような経緯で78点もの画題が選定されたのかまでは詳細な研究は行われて来なかった。本研究では歴史教育の観点からこの点を明らかにすることで、国史絵画についてだけでなく、それにより戦前の教育の歴史において絵画作品を通じて新たな視座を得ることができるものと考える。また、教材として描かれるようになった挿絵を含む歴史画の画題の変遷を■ることにより、逆説的に日本において歴史画という主題がどのような変遷をたどり戦後へと至ったのかを知ることができる可能性を示す。【構想】国史絵画78点は、画題、内容、おおまかな構図に至るまで調査委員側から指示がなされ、揮毫者はそれらを元に数度の下絵講評会を経て制作を行った。つまり、画家個人の芸術性に対する重要度は低かったものと考えられる。それでも当時の画壇で活躍していた、あるいは長年日本美術界に貢献してきた画家を起用したのは、比較的大画面の歴史画の制作経験を持っており、かつ実力が保証されているという理由のほか、皇室関連の記念事業にふさわしいと考えられる画家たちに依頼したものと見られる。そうした画家たちを起用した中で彼らの描いた作品を見てみると、画題のみならず構図に至るまで当時の歴史教科書の挿絵と似通ったものが複数含まれていることがわかる。中には過去の歴史画からの引用も見受けられるが、制作に至るまでの過程と、こうした共通点から、歴史教科書編纂と国史絵画館の双方に深く関わった藤岡継平について、その教育方針との関連を調査することにより、国史絵画画題選定に関する具体的な説を新たに示すことができるものと考える。― 37 ―

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