■ 1■■■■■■■■版画に■■る■■■■■■研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学学術院 博士後期課程 本研究の目的は、17世紀オランダにおける版画に対する手彩色が、多くの場合、絵画の廉価な代替品をつくるために行われた一方で、一部の優れた版画彩色師による手彩色版画は、購入者にとって単なる代替品にとどまらず、手彩色が施された版画そのものに価値が置かれていたと仮説をたて、それを検証することである。これは近年の西洋版画史研究における、彩色版画を再評価しようとする動向のなかに位置する研究である。17世紀オランダ版画の最大のコレクションを有するアムステルダム国立美術館では、20世紀末頃から彩色版画に美術史上の重要な価値があるとみなし、彩色版画を積極的に収集、研究する方針を示している。それまでの研究では、単色の版画に手彩色を施した作品はほとんど等閑視されてきた。この傾向の淵源は、16世紀初頭のデジデリウス・エラスムス(1466■1536)によるアルブレヒト・デューラー(1471■1528)の評伝にまで■ることができる。しかし版画収集に、より強い影響を及ぼしたと考えられているのは、17世紀オランダの著述家ウィレム・フーレーの言葉である。フーレーは自著のなかで「版画を彩色することは版画を台無しにすることである(Printen beverven is printen bederven)」と述べた。これは、版画のパブリック・コレクション形成の黎明期と重なる18世紀の個人収集家のあいだでも支持され、彩色版画が収集の対象となることは少なかったとされる。そのため、17世紀オランダの彩色版画が収集家のアルバムのなかで紫外線と温湿度変化から守られることは稀で、ほとんどが散逸ないしは遺失してしまったと考えられている。こうした状況から、版画の初期の作品総目録が編まれる際にも多くの場合、彩色版画の存在は無視され、長い間本格的な美術史研究の俎上に載せられることがなかった。しかし、20世紀末頃から同時代の文字史料やわずかに現存する彩色版画についての研究が行われるようになり、フーレーの格言とは裏腹に、実際には17世紀のオランダで多くの彩色版画が流通していた可能性が指摘されるようになった。とはいえ、単色版画に比して現存数がきわめて少なく、まとまった量の作品を包括的に研究することは容易ではないため、17世紀オランダの彩色版画には未解明の部分村 井 弘 夢― 38 ―
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