鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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や挿絵をまとめた資料集(横浜開港資料館編『「ル・モンド・イリュストレ」日本関係さし絵集』、横浜開港資料館、1988年、他)も出版され、日本表象史研究の基礎文献を成している。1890年代に入ると、日本の表象は軍事的な要素が目立ち始め、次の年代に引き継がれた。筆者による『ル・モンド・イリュストレ』の調査では、1904年の日露戦争時に日本を描いた画像の出現回数が121回であるのに対し、前年は3回にすぎない。つまり、1904年を境に戦争の話題が日本を描く動機となっていた。一方、1880年代まで主流であった日本の習俗、景観、美術、文化に特化した挿絵は減少したが、時折、幻想性に注目した描写も現れる。したがって、この時期の日本表象は必ずしも幻想から軍事という一方向的な変化のみで説明することはできない。そこで筆者は、20世紀以降のフランスの絵入り新聞にみる日本表象の変遷について、1906年まで『ル・モンド・イリュストレ』の画像レパートリーの整理を進めてきた。本助成によりこの研究を継続し、『リリュストラシオン』の調査と併せて1920年代まで進めることで、日本趣味やジャポニスムの流行後に、どのような日本像が人々の間で一般化していたのかを把握できると同時に、先行研究で既に1905年(『ル・モンド・イリュストレ』は1890年)まで整理されている日本表象史の記述範囲を1920年代まで押し広げることができる。本研究のもう一つの特色は、ジョルジュ・ビゴーを中心に、紀行誌も調査対象とする点にある。紀行誌とは外国に特化した報道や探訪記、物語を扱い、挿絵を多く取り入れていた。『ジュルナル・デ・ヴォワイヤージュ』、『ル・ミディ・コロニアル』等が代表的である。生涯を通じて精力的に日本を描いたビゴーは、1882年から1899年まで日本に滞在し、帰国後、ジャポニスムの全盛期が過ぎた後も日本を主題に数多くの作品を手掛けた。それゆえ、日本表象の変遷を検討する上で、ビゴーの創作活動は避けて通ることができない。1906年に植民地省公認画家に任命されてからは、植民地や極東地域の文脈で日本を捉えようとした。紀行誌はフランスの対外政策や植民地政策と連動している点で絵入り新聞と本質的に異なる。そのため、紀行誌に掲載されたビゴーの挿絵の内容や描写様式の変遷を■ることで、日本趣味・ジャポニスム以後の日本表象の特徴を明らかにし、「幻想的な日本」対「軍事的な現実の日本」という2つの対立軸を通して20世紀初頭の移ろいゆく日本表象を考察することが可能となる。絵入り新聞と紀行誌における日本表象の変遷を対照し、描かれた内容や描写法の違いと共通点をとり上げながら、フランスにおける日本表象の特徴と傾向を多面的に考―  0 ―

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