鹿島美術研究様 年報第40号(2022)
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■ ■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■に■大坂画壇研究は確認さえできていない作品も数多く、初出の作品を公にするだけでも十分価値があるものと言える段階である。さらに踏み込み、上記のような多角的な研究が少しずつ進むことによって、これまでばらばらの点と点が結びつき、解像度を高めていく写真のように、大坂画壇の全体像が少しずつ明らかになっていくだろう。大坂画壇研究が進めば、これまで京都と江戸画壇を主軸としてきた近世日本美術史において、大坂画壇が第三の基軸として確立されることになる。さらに大きな視点で言えば、大坂以外の地方にも目を向けた総合的な日本美術史が今後、再構築されていくに違いない。本調査研究での試みが、その大きな助けとなると確信している。筆者が所属する吹田市立博物館は、市内の旧家や寺院のコレクションを数多く収蔵し、工芸品も含めた近世の作品は300点を優に超えている。大坂の周縁地域である大阪府吹田市は、神崎川の開削によって西国と京を結ぶ拠点として発展した。また、『摂津名所図会』に「吹田の渡し」の記載があるように、人を舟で渡すことで大坂と京都の中継地としても栄え、江戸時代後期の代表的な文人である田能村竹田も京方面へ向かう途中で滞在した記録が残っている。そのような歴史的背景を持つ吹田市内の旧家のコレクションは、大坂画壇作品のみならず京都画壇作品など多様な作品を含んでおり、これらを紐解くことによって、当時の大坂と周縁の文化交流の様子を明らかにすることができる。ローカルな視点でありながらも、大坂画壇史、さらには近世日本美術史という主流に結びつく、意義深い調査研究となるだろう。研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程  閻   志 翔本研究では、大安寺木彫像のうち、収蔵庫讃仰殿に安置されている四天王像を取り上げ、細部の形式と作風の両面から、その彫刻史的位置を再考するものである。周知の通り、8世紀前半は捻塑像の時代であったのに対し、8世紀後半となると、針葉樹材を用いた木彫像の製作が行われた。9世紀以降、日本の仏像の大半は木で造られるようになるため、8世紀後半における「木彫像の成立」は日本彫塑史の方向性を決定づけたものと思われる。木彫像の成立の大きな要因としては、檀像彫刻に対する考え方が強く影響していたことが通説化しており、白檀の代用材としての栢木の思想の流入も重要な役割を果たしたと指摘されている。このような日本彫塑史の転換点に契機―    ―

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