をもたらしたのは鑑真の渡来とされ、鑑真が創建した唐招提寺に伝わる木彫群は針葉樹材製木彫像の最初期の遺品として位置づけられている。その一方、大安寺の木彫像は唐招提寺木彫群の影響を受けて成立・展開したとする見解が有力となっている。しかし、こうした考え方に岩佐光晴氏が反論を唱えた。岩佐氏は大安寺の像は木彫の技法、表現において唐招提寺の像とは異なる独自性を発揮しているとし、両者にみられる技法と表現の差異は、一方から一方への影響関係ではなく、むしろ中国の木彫像における多様性として捉えることもできると指摘した。それ以降大安寺木彫像の再評価の動きが高まっているとはいえ、それに関する実証的な考察は展開されてこなかった。本研究は岩佐氏の論考に触発され、大安寺四天王像の実証的な検討を通して、その彫刻史的位置を再考するとともに、大安寺木彫像の再評価を試みようとしたものである。それを機に「木彫像の成立」という大きな問題の解決にも寄与したい。具体的には、本研究は客観性の高い細部形式の考察を中心に研究を進めていく。とりわけ着甲像の甲、着衣などには高い密度の情報が含まれており、唐招提寺講堂二天像や金剛山寺二天像をはじめとした同時期の着甲像の彫塑、絵画作例との比較検討を通して、大安寺四天王像の独自性を丹念に洗い出すことができるだけでなく、大安寺四天王像内部の相互関係やそれらと唐招提寺木彫像との関係性も明らかにすることも可能となる。さらに唐代着甲像と比較することで、大安寺四天王像の独自性がいかなる唐代彫塑の多様性を反映しているかを解明することもできると予想される。以上の検討を通して、これまでの大安寺の木彫像の位置付けを見直すことができるとともに、日本における木彫像成立の要因を、唐招提寺木彫群の影響にあるとする定説にも新たな疑問を提起する。これまでに筆者は大安寺十一面観音像の細部形式の分析を通して、唐製檀像の神福寺像と十一面観音像との密接な関係性を指摘し、大安寺の木彫像を唐招提寺木彫群の影響を受けて成立・展開したとする見方に疑問を提起した。その成果は2022年奈良国立博物館にて開催された特別展「大安寺のすべて」の展覧会図録に掲載された内藤航氏の論考に引用されている。またその成果をまとめた論文は『美術史』194冊に採択され、2023年3月に刊行された。これは、本研究の研究手法の有効性を証明するものと言える。なお、細部形式の考察によって得られた成果をもとに大安寺四天王像の作風面の検討を行い、奈良時代後期の木彫像にみられる鑑真渡来以降の唐風受容の一様相を明らかにし、大安寺四天王像の制作環境および作者の性格を考察する。― 5 ―
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