■ ■■■■■■■■■■■国■画■■■■■■■成に関する調査研究(1)現存作品の来歴解明等につながる新出史料の紹介二仏並坐の流れを把握し、造像の背後に潜む思想の変動を明らかにすることを目指す。モチーフ自身だけでなく、安置される空間、他題材との組み合わせ、を意識しながら中国古代の二仏並坐像を見る必要がある。釈■多宝対座説法造像碑は北魏以来の伝統を受け継ぐ一方で、オリジナリティも多く加えられ、隋唐の一つ前の段階の作例として重要である。陝西省西牆村一帯の造像碑は、碑陰や碑身に城池図像を有する。そのうち、茘非郎虎与任安保造像碑と本碑はいずれも茘非郎虎が関わり、両碑の碑陰の城池図像はいずれも重要な構成部分となっている。茘非郎虎与任安保造像の発願文を両碑に照らしあわせると、発願者が期待したものが見えてくる。こうしたことを期待して、本研究を構想した。博士論文の完成に向けた重要な一環として取り組んでいきたい。研 究 者:松江市 文化スポーツ部 歴史史料専門調査員 村 角 紀 子本調査研究の意義と目的は、大きく以下の三つに分けられる。乙部家が収集した中国絵画には、李迪筆《紅白芙蓉図》(東京国立博物館蔵)、伝毛益筆《萱草遊狗図・蜀葵遊猫図》(大和文華館蔵)、伝銭舜挙《宮女図》(京都国立博物館寄託)など、同家の後にいわゆる近代数寄者のもとに収蔵され、現在では国宝・重要文化財に指定される宋元画の優品が多数含まれている。先行研究ではいずれも明治後期以降の旧蔵者までは確認されているものの、それ以前の来歴は不明とされてきた。「御道具帳」をはじめとする乙部家文書からは、既にその空白の一部を埋めうる新出史料が確認されている。本研究を進めることで、現存作品の来歴解明等につながる新出史料を紹介し、ひいては、近世から近代への過渡期における「唐絵」「和画」の受容・評価・流通に関する新たな史料の提示につなげたい。(2)幕末明治初期における「美術品移動史」の再考松江藩は、結城秀康の三男・松平直政を藩祖とする雲州松平家が代々藩主を継ぐ、18万石の親藩だった。七代藩主・松平治郷(不昧)による名物茶道具収集や『古今名物類聚』編纂、蔵品目録『雲州蔵帳』はよく知られている。乙部家の絵画コレクションは、不昧の孫世代にあたる乙部九郎兵衛十代可時(1824■1887、隠居後は月心斎)― 7 ―
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